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「四季録」(愛媛新聞連載)

患者さんやご家族に教えられたこと・・・

四季録 患者さんやご家族に教えられたこと

当院理事長の永井康徳医師が、2020年4月1日より愛媛新聞の連載コーナー「四季録」へ記事を寄稿しています。
永井医師が在宅医療やへき地医療を行う中で、患者さんやご家族に教えられたことを主体に書き綴ったものです。一般の方々に多死社会を迎えた新たな医療の在り方や在宅医療の選択肢、看取りの在り方などをお伝えする内容となっています。ぜひご一読ください。
記事は毎週水曜日に掲載され、連載は1年間続きます。

記事をまとめて読みたい方へ

・前半(第1回~第27回)の記事をまとめた冊子(PDF/7.61MB)
・後半初回(第28回)~第36回の記事をまとめた冊子(PDF/2.84MB)



第36回 病床「たんぽぽのおうち」を作った理由

たんぽぽクリニックは2000年に在宅医療に特化したクリニックとして開業しました。24時間いつでも対応できる、質の高い在宅医療を地域に提供するために、あえて外来も病床も持ちませんでした。しかし、2016年に16床の病床をオープンしました。入院しても、自宅と同じようにくつろげるように、そして自分のおうちのようなぬくもりがある場所になるようにとの願いを込め、「たんぽぽのおうち」と名付けました。
現在、有床診療所は毎年全国で数百施設ずつ減っており、最近20年間で3分の1と減少の一途をたどっています。有床診療所が激減している理由は、経営難と人材確保困難が主な理由です。このような背景にもかかわらず、私たちは、なぜあえて有床診療所をオープンしたのでしょうか? ≪続きを新聞記事で読む≫

2020年12月2日掲載

第35回 「治す医療」と「支える医療」

私は医療には「治す医療」と「支える医療」があると考えています。
私が医者になった頃、上級医から「患者が亡くなっても、ご家族の前で泣いてはいけない。ご家族が一番つらいのだから」と教えられました。今思うと、これは医師と患者家族との間にあえて一線を引くということであり、当時の医師には必要だったのかもしれません。それは「治す医療」だったと、今振り返って思います。
「治す医療」とは、患者を治し施す医療のこと。救急医療は、その最たるものだと思います。患者の命を救うために医療技術の粋を尽くして患者の命を救う。患者のケガや病気を治すことが最優先です。救命のため一刻を争う中では、患者の価値観や生き方を確認する時間はありません。
それに対して「支える医療」とは、患者を支え寄り添う医療のこと。在宅医療がまさにそうです。 ≪続きを新聞記事で読む≫

2020年11月25日掲載

第34回 本人の食べる権利は? ~たんぽぽ寿司~

余命1週間と宣告され、当院に転院後、わずか1週間で箸やスプーンを使い、自ら食事ができるようになったサトシさん。「退院のお祝いに何が食べたいですか?」との質問に、「寿司が食べたい!」とサトシさんは元気に答えました。
そこで、調理場の板前が腕を振るい、寿司をお出しすることにしました。寿司ネタは当日仕入れたマグロにタイやサーモン。サトシさんが食べやすいように、ネタも寿司飯も、なめらかなムース状にしてたくります。それらを桶に並べ、サトシさんの目の前で板前が握るという本格的寿司屋「たんぽぽ寿司」を病床の食堂に開店したのです。サトシさんは、「まぐろはないんかな?」と、食べたい寿司を注文し、「クーーッ」とうなるように首を左右に振りながら、大きなグラスでビールを飲み干しました。「夢を見てるよう」と言ってサトシさんは喜ばれました。 ≪続きを新聞記事で読む≫

2020年11月18日掲載

第33回 余命1週間からの復活

88才の妹さんと2人で暮らす91才の男性サトシさん(仮名)は、認知症を患っていましたが、身の回りのことは何とか自分でできていました。ある日、息をするのがつらくなり、病院を受診したところ、誤嚥性肺炎をおこしており、そのまま入院となりました。口から食事をすると肺炎がまた悪化する恐れがあることから、絶飲食となり、持続点滴が開始され、お薬は経鼻胃管チューブ(栄養注入や服薬のため、鼻から胃に挿入するチューブ)からの注入となりました。肺炎予防のための痰の吸引も頻回に行われました。
サトシさんは、吸引の苦しさから抵抗したり、点滴を抜こうとするため、両手にはミトンを付けられてしまいました。サトシさんは、入院1ヶ月ほどで状態が良くなるどころか悪化し、「あと1週間くらいの命」と宣告を受けたのです。 ≪続きを新聞記事で読む≫

2020年11月11日掲載

第32回 在宅医療のグローバル化

世界各地への航空網の広がりや、インターネットなどの情報通信技術の普及により、近年、世界のグローバル化は顕著になりました。しかし、トランプ大統領のアメリカ第一主義政策など、グローバル化の限界もみえはじめ、地域に根付いたローカル化の動きが出ていたところに、新型コロナウイルス感染拡大により、モノとヒトの往来に大きくブレーキがかかりました。
在宅医療に目を向けてみましょう。2020年の日本の高齢化率は28.7%と世界一の超高齢社会です。世界のどこの国も経験したことがないスピードで、日本の社会は高齢化しています。急速な高齢化は日本だけではなく、アジア諸国をはじめとする世界の各国も同様です。 ≪続きを新聞記事で読む≫

2020年11月4日掲載

第31回 開業20周年!感謝!

介護保険制度が始まった2000年、私は在宅医療専門のたんぽぽクリニックを開業しました。それまで愛媛県には、外来も病床も持たずに、在宅医療だけを行うクリニックはありませんでした。
先日、開業当初からお付き合いのあるケアマネジャーに、こんなことを言われました。「先生が開業した頃は、在宅医療なんて誰も見向きもしなかったのに、今は誰も彼もが在宅医療ですね」。当時は、医師仲間からも「在宅医療だけを専門でやるなんて変わったやつだな」という目で見られていたと思います。しかし、超高齢社会から多死社会を迎えようとする今、医療の在り方は大きく変わってきています。 ≪続きを新聞記事で読む≫

2020年10月28日掲載

第30回 恩返しの俵津プロジェクト

「診療所がなくなってしまう。何とかしてくんなはい!」。俵津住民の男性が、この窮地に私のことを思い出し、へき地診療所を立て直す「俵津プロジェクト」が立ち上がりました。
小さな診療所の閉鎖は、街の人の生活や人生までもおびやかす大問題でした。たんぽぽ俵津診療所の前身である国保俵津診療所に勤めていた約5年間、若い私を医師として、人間として育ててくれた俵津住民の皆さん。私が新たな志を抱き、診療所を去る日、診療所の駐車場から続く道を埋め尽くし、野福峠の沿道からも車が見えなくなるまで見送ってくれました。皆さんへの恩返しのためにも、どうしても成功させたいと臨んだプロジェクトでした。 ≪続きを新聞記事で読む≫

2020年10月21日掲載

第29回 桜とミカンの野福峠 ~へき地診療所への道~

私は松山市にある「たんぽぽクリニック」で在宅患者さんの診療をしていますが、毎週木曜日は西予市明浜町にある「たんぽぽ俵津診療所」に出向き、診療を行っています。
診療所のある俵津地区は、宇和海に面した人口1100人の町です。この町には松山から宇和で高速を降り、野福峠という峠を越えて向かいます。桜の季節には峠から見渡す絶景に魅せられ、多くの花見客がここを訪れます。明るい南国の日差し、沿道に咲き誇る桜の淡く透き通るようなピンク色、山の斜面に広がるみかん畑の輝くような緑、その向こうには光をいっぱい浴びた海の青、そのコントラストが実に美しい。穏やかな入り江には真珠養殖の筏がみえます。いつ通っても、何度通っても、この野福峠からの風景に私は心癒されます。私の大好きな場所であり、俵津住民自慢の名所でもあります。 ≪続きを新聞記事で読む≫

2020年10月14日掲載

第28回 私の在宅医療の原点

私は医学部2年の時、中島町二神島を研修で訪れ、住民健診や労働体験をしたことがあります。地区公民館で健診中、島の保健師さんがこう言いました。「どんなに誘いに行っても、どうしても健診に来ない方がおるんよ。もう20年近くも家から出てないかもしれん。足腰も弱って、血圧も高そうやから、何とかして健診に連れてきたいんやけど…」
私と同級生Y君とI君の3人で早速そのおばあさんの家へ向かいました。数日間通い続けるうちに、おばあさんは次第に心を開いてくれたのですが、なかなか健診行きを承諾してくれません。とうとう健診最終日、私たちが「もう今日で健診は最後です。行きましょうよ!」と熱心に声をかけると、おばあさんはついに「うん」と言ってくれました。≪続きを新聞記事で読む≫

2020年10月7日掲載

第27回 「亡くなるまで食べる」ことの意味

四季録執筆を開始してから、毎回記事を切り抜いて保存しているとか、家族で記事を基に話し合っているとか、皆さまからのうれしい声がたくさん届き、その反響に自分でも驚いています。今回は、四季録がきっかけで診療が始まったケースをご紹介します。
神経難病で長い間在宅療養をされてきた南予の80歳代の男性は、延命治療を希望せず、自然で穏やかな最期を望んでいました。ある時、自宅で転倒し、入院中に誤嚥性肺炎を起こしため、食事ができず、点滴をしながら何回も吸引が必要な状態となりました。
松山に住む男性の娘さんは、私が書いた四季録を読み、「父にこんな医療を受けさせたい」とたんぽぽクリニックを訪ねて来られました。≪続きを新聞記事で読む≫

2020年9月30日掲載

第26回 納得できる最期とは何か

96歳の一人暮らしの女性のお話です。この方はヘルパー等の在宅サービスを利用しながら穏やかに生活されていました。診療に伺うたびに、「先生、自宅で苦しまないように楽に逝かせてください」と、言われていました。尊厳死宣言書に署名され、自分の意志を貫くために、公証役場に遺言を残しておられました。
女性からは、状態が悪くなっても長男には連絡しないでほしいという明確な意思表示がありました。長男さんは責任ある立場で仕事をされており、女性が連絡を望まないのは、長男の仕事に迷惑をかけたくないとの思いからでした。女性は死に向き合い、自分のことは自分で行いたいと旅立つ事前準備もしっかりされていたのです。≪続きを新聞記事で読む≫

2020年9月23日掲載

第25回 一人暮らしでの看取り

「老々介護でも在宅医療は可能ですか?」とよく聞かれます。老々介護で在宅医療を開始する時に、私が高齢のご家族に必ずお伝えするのは、「介護する方は、何もしなくていいんですよ」という言葉です。在宅医療に携わる人たちが、一人暮らしでも家で看取ることが可能な地域を目指して患者さんの支援をすれば、どんな病気や障がいがあっても家で暮らし続け、看取ることができると私は思います。
では、具体的にどうすれば一人暮らしの人を看取れるのでしょうか? さまざまな専門職と協働し、サービスを提供するのはもちろんのことですが、必ず必要となる重要な三つのポイントがあります。≪続きを新聞記事で読む≫

2020年9月16日掲載

第24回 命のバトン

ある70代の男性のお話です。末期がんで余命(残された命の期間)があと数日となった頃、県外に暮らす娘さんやお孫さんたちも実家に帰ってきました。せっかく帰省したというのに、小学生のお孫さんたちはいとこたちとゲームに夢中です。娘さんも子どもたちにおじいさんのことを話そうとはせず、遊ばせていました。このような状況の中では、「おじいさんのために、今、何ができるのか」子どもたちが気付くことはできません。
しばらくして私はお孫さんたちに声をかけ、おじいさんが置かれている状況について話をしました。 ≪続きを新聞記事で読む≫

2020年9月9日掲載

第23回 死に向き合う

今の時代、「がん」という病名の告知が本人にされることは一般的になりました。しかし、病名は告げたけれど、その後本人との対話が十分になされておらず、本人も家族も、そして医師すらも死に向き合えていないと感じることが多くあります。
家族には「年は越せないかも」「お盆までもつかどうか」などと、亡くなる頃を予測する話をしますが、本人にはその真実を告げられないことがまだまだ多いと思います。「本人に本当のことを知らせるのはかわいそいだ」という家族の思いから、本人の意思は蚊帳の外となって治療やケアの方針が決められていくのです。 ≪続きを新聞記事で読む≫

2020年9月2日掲載

第22回 何も言えねえ!

ある日、「腰痛で寝たきりとなり、床ずれがある患者さん宅に訪問してほしい」とケアマネジャーから依頼がありました。
その男性は奥さんと二人暮らしで、訪問するといきなり「何しに来た!早く帰れ!」と怒鳴られました。お酒の匂いもプンプンしており、朝から焼酎を飲むのが日課のようでした。私は「腰痛で動くのがつらそうですね。右足に床ずれができていると聞きました。ちょっと診させてください」と言うと渋々足を出してくれました。床ずれはそれほどひどくはなく、簡単な処置をし、腰痛緩和のため体のポジションを調整しました。 ≪続きを新聞記事で読む≫

2020年8月26日掲載

第21回 家で亡くなったら警察沙汰!?

ここ数年、著名人が自宅で療養を続け、亡くなったというニュースを耳にすることが増えてきました。その一方で、「家で最期を迎えたい」と言うと「家で亡くなったら警察沙汰だよ」と忠告する人もいます。少し前までは医師ですらそのような人もいました。
それは、自宅で亡くなる方のすべてが、穏やかな「在宅看取り」というわけではなく、異常死や不審死も含まれているからです。それが警察に届け出が必要な、いわゆる「警察沙汰」です。しかし、自宅で亡くなっても、警察に届け出が必要な場合とそうでない場合は、明確に分かれています。 ≪続きを新聞記事で読む≫

2020年8月19日掲載

 

第20回 家で臨終を迎えるとき

在宅医療専門のクリニックを開業してから20年近くたちますが、患者さんが「亡くなる瞬間」に立ち会うことはめったにありません。先日、緊急ではなく、いつも通り診療に伺った際に、60代の末期がんの男性の臨終の場面に遭遇することがありました。
私は部屋に入ってご本人の顔を見るなり「亡くなる直前だ!」と分かったのですが、奥さんは「今朝はよく眠っています」と少しのんびりとした感じで言われました。娘さんは別室で、訪ねてきた友人と楽しげに話をされていました。 ≪続きを新聞記事で読む≫

2020年8月12日掲載

第19回 亡くなる瞬間はみていなくてもいい

当院には、全国から毎年多くの研修医がやってきます。ある研修医に、私が在宅医療の講義を行った後、その研修医の目から涙があふれて止まりませんでした。彼女の涙の理由は何だったのでしょう。その理由が講義の感想として次のように記されていました。
「私が医学部の学生の時に、父が癌の末期であることがわかりました。父は在宅で闘病していました。ある日、私は図書館で勉強して帰ろうと思い、勉強中に母から『父の様子がおかしい!すぐに帰ってきて!」と電話があり、急いで家に戻りましたが、父はすでに亡くなっていたのです。≪続きを新聞記事で読む≫

2020年8月5日掲載

第18回 大切な人の「死に目」に会うということ

「大切な人の死に目に会えない」ことは不幸なことなのでしょうか?それどころか、この「思い込み」が逆に人を不幸にしているのかもしれないと私は思うのです。
高齢で寝たきりの母親を看ていた姉妹がおられました。二人とも仕事をされていたので、日中の介護は主に家政婦さんにお願いしていました。時を経て、食べられなくなり、胃ろう栄養を選択しましたが、手厚い看護のおかげで、比較的落ち着いた日々を過ごされていました。娘さんたちはお母さんがこのまま自宅で穏やかに最期を迎えることを望まれていました。≪続きを新聞記事で読む≫

2020年7月29日掲載

第17回 最期の瞬間に医者はいらない

元高校教師の男性のお話です。実父が脳梗塞を発症し、自宅で逝くことを望みながらも病院で亡くなった経験から、その男性は「延命医療をせず最期は自宅で看取ってほしい」という自身のリビング・ウィル(生前の意思)を書き残していました。すると運命のいたずらか、父親と同じ65歳にして脳梗塞で倒れ、集中治療室に入りました。奥さんは本人の意思を尊重し、病院での治療よりも家族と一緒に過ごせる自宅での療養と看取りを望まれました。
私たちが診療訪問を始めて2週間たったある日、奥さんから一本の電話がありました。≪続きを新聞記事で読む≫

2020年7月22日掲載

第16回 在宅医療専門クリニック

介護保険制度が始まった2000年、私は在宅医療専門クリニックを開業しました。外来も病棟も持たずに在宅患者に特化した医療を行うクリニックは、当時愛媛県で初めてでした。
なぜ、在宅医療専門のクリニックを作ったのかとよく聞かれます。私は元々、へき地診療所で高齢の患者さんを多く診ており、病気や障がいで診療所に通えない方がいると、自然に患者さん宅を訪問する在宅医療を始めるようになったのです。
ある時、がん末期の患者さんから「家で看取ってほしい」との依頼を受け、訪問診療を開始しました。 ≪続きを新聞記事で読む≫

2020年7月15日掲載

第15回 在宅療養なんでも相談室

たんぽぽクリニックの電話が今日もまた鳴っています。「○○病院連携室です。退院する患者さんの訪問診療をお願いします!」
病気や障がいを抱えた入院中の患者さんが自宅に戻られる時、入院前とは変化した生活の再構築が必要となります。このような患者さんの紹介を最初に引き受けるのは、当院の「在宅療養なんでも相談室」です。当院では在宅医療機関の中でも全国に先駆けて、この相談室を設置しました。「在宅療養なんでも相談室」には、看護師、医療ソーシャルワーカーが在籍しています。たんぽぽクリニックの在宅医療は、すべてここから始まります。 ≪続きを新聞記事で読む≫

2020年7月8日掲載

第14回 誰のための医療なのか?

2011年東日本大震災で、災害支援をした時の話です。私は被災10日後に宮城県気仙沼に入り、避難生活の中、通院できない高齢者のご家庭を巡回しました。寝たきりで悪化した床ずれ(褥瘡)を治療するプロジェクトの立ち上げに関わっていたのです。
そこには、全国から在宅医療のプロフェッショナルや褥瘡治療の専門家が集まってくれました。情報のない中、一軒一軒訪問して対象患者を探し出し、褥瘡治療に当たりました。私たちは当時、在宅医療がまだ広まっていない気仙沼市に訪問診療の真骨頂を提供しているという自負を抱き、活動していました。 ≪続きを新聞記事で読む≫

2020年7月1日掲載

第13回 最期まで食べる!

あなたは亡くなる最期の日まで食べることを望みますか?それとも最期は絶食でも仕方がないと思われますか?
現在は、亡くなる最期まで点滴や経管栄養、胃ろうなどの人工栄養を続け、吸引などの医療処置が必要となり、絶食で亡くなることが圧倒的に多い時代です。
終末期に「絶食」ではなく、口から食べるという取り組みは「食支援」とも呼ばれ、在宅医療では近年注目されています。 ≪続きを新聞記事で読む≫

2020年6月24日掲載

第12回 点滴をする選択、しない選択

病院で亡くなる患者さんの多くは、最期のその時まで点滴を受け続けています。そして、ご家族も最期まで今の医学で可能なことはやってほしいとそれを望まれます。
私はこれまで多くの患者さんから、最期に点滴をしない方が楽であることを身をもって教えていただきました。この経験から、亡くなる前の点滴についてどのようにご家族に説明することが理解を得られやすいかを考えています。それは最期はご本人を楽にすることを最優先に考えることを願うからです。 ≪続きを新聞記事で読む≫

2020年6月17日掲載

第11回 亡くなる前に点滴はいらない

人は生まれたらいつか必ず亡くなります。そのことに誰も異論はないことでしょう。にもかかわらず、私たちは死に向き合う機会を持てていないように思います。
これは日本の医療が「治す」事を追求して発展してきたことが大きく影響しているのかもしれません。私たち在宅医療のクリニックに紹介されてくる癌の患者さんは、病名の告知はされていても、病気がもう治らないことや限られた命であることなど十分な告知がなされていないケースがまだまだ多くみられます。 ≪続きを新聞記事で読む≫

2020年6月10日掲載

 

第10回 ウクレレの魔法

昨年、私が新しく始めた趣味があります。それはウクレレ演奏です。ある医師がウクレレを背負って当院に見学に来られ、行く先々で演奏したところ、たちまちみんなを魅了し、盛り上がったことがきったけでした。小さな楽器ながら、魔法のような音色に感動し、私はすぐに虜になりました。
早速、ウクレレを購入し、最初にマスターしたのが「ハッピーバースデートゥーユー」でした。当院では、患者さんの誕生日に小さな花束を贈ります。その際にこの曲をウクレレで伴奏し歌いながらお祝いしたいと思ったのです。 ≪続きを新聞記事で読む≫

2020年6月3日掲載

第9回 ブラックジャックの名言

大切な方がいよいよ最期を迎えようかという時、ご家族の出張や結婚式などで、どうしても「その日」まで本人のイノチを持たせてほしいと求められることがあります。大切な方に一分一秒でも長生きしてほしいご家族のお気持ちは痛いほどよく分かります。しかし、大切なのは自然な「死への過程」に抗わないことだと思うのです。
そんな時、私がいつも思い出すのは、手塚治虫の漫画ブラックジャック「時には真珠のように」の章に出てくる名言です。≪続きを新聞記事で読む≫

2020年5月27日掲載

第8回 一人称の死

皆さんは自分の「死」を想像したことがありますか?人は生まれたらいつか必ず亡くなります。これは当たり前のことですが、「死」をイメージできる人とそうでない人がいます。
「あなたはピンピンコロリで亡くなりたいですか?それとも介護を受けて亡くなりたいですか?」講演会でこう質問すると、ほとんどの人がにっこりと笑顔でピンピンコロリの方に手を上げます。「では、明日の朝、亡くなっていてもいいですか?」と聞くと、尻込みする人がほとんどですが、もう十分生きたからそれでいいという方もおられます。≪続きを新聞記事で読む≫

2020年5月20日掲載

第7回「楽なように やりたいように 後悔しないように」

当院では、お看取りの時期が近い患者さんへ必ずお話しすることがあります。それは「楽なように、やりたいように、後悔しないように」という信条です。
一つ目は、「楽なように」です。今は緩和医療が発達して、心ゃ身体のつらさをしっかり取ることができるようになりました。これから在宅療養を始める患者さんに「家に帰って何かしたいことはありますか?」と聞くと、たいていの患者さんは「こんなに痛くてしんどいのにそんなこと考えられないよ」と言われます。≪続きを新聞記事で読む≫

2020年5月13日掲載

第6回「最期の入浴」

在宅で療養する患者さんにとって、入浴は食べることに次ぐ楽しみの一つだと思います。訪問入浴のサービスでは、寝たきりの方でも自宅で気持ちよく湯船につかり、体を洗ってもらえます。その一連の手順や手際の良さは必見で見事としか言い様がありません。
以前、100歳の方が、当院に紹介されてきました。その理由は、主治医から入浴の許可がおりなかったからだそうです。≪続きを新聞記事で読む≫

2020年5月6日掲載

第5回「人生会議」

誰でもいつでも、命に関わる大きな病気やケガをする可能性があります。命の危険が迫った状態になると、約7割の方が医療やケアなどについて、自分の意志や希望を伝えることができなくなると言われています。ですから、常日頃から自分が大切にしていることや、誰とどこでどのように暮らしたいかを考え、周囲の信頼する人たちと話し合っておくことが重要です。≪続きを新聞記事で読む≫

2020年4月29日掲載

第4回「ヒトを診る医療」

「ピンポーン」まだ辺りも暗い午前5時過ぎ、南予にあるたんぽぽ俵津診療所に隣接する医師住宅の呼び鈴が鳴りました。玄関まで行ってみると、ドアの向こうで懐中電灯の光と人影が見えます。ドアを開けると、「先生・・・」と、いつも診療所に来る男性が白い発泡スチロールの箱を持って立っていました。≪続きを新聞記事で読む≫

2020年4月22日掲載

第3回「看取りの文化」

桜の季節になると、以前研修に訪れた台湾の方々から聞いた「最期の一息」という言葉を思い出します。
近年、在宅医療は日本のみならず、台湾でも広がりを見せています。現在の台湾の高齢化率は12%程度で、28%の日本ほどではありませんが、なんと2050年には台湾が日本を上回ると予想されています。世界一の高齢化率をはるかに上回るスピードで高齢化が進むため、台湾にとって高齢化対策は喫緊の課題なのです。≪続きを新聞記事で読む≫

2020年4月15日掲載

第2回「経験はつながっていく」

アップル社の創業者スティーブ・ジョブズは、スタンフォード大学の卒業式で「コネクティング・ザ・ドッツ」(経験はつながっていく)という伝説のスピーチをしています。私はこの言葉を常に心に留めています。
医学部1回生の時、私は南予の無医地区で研修に参加しました。現地に1週間泊り込み、検診や労働体験、救急医療のアンケート等を行ったのです。≪続きを新聞記事で読む≫

2020年4月8日掲載

第1回「天寿と長寿」

二十数年ほど前、私が僻地診療所に勤務し始めた頃のことです。それまでは私も病院勤務の経験しかなく、食べられなくなったら点滴をして、状態が悪ければ入院をさせるということしか頭にありませんでした。
当時、地域で最高齢の102歳のおばあさんのところに訪問診療にお伺いしていました。長年、脳梗塞で寝たきりでしたが、長男夫婦の手厚い介護を受けながら療養されていました。≪続きを新聞記事で読む≫

2020年4月1日掲載