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最新看取り事情


第2回 人が自然に亡くなる過程
~「楽な最期」とは枯れるように逝くこと~

■人が自然に亡くなる過程

 人は、亡くなる前に食べられなくなることにより、脱水状態となり、徐々に眠くなる時間が増えて、ADL(日常生活動作)が低下していきます。これは、子どもの成長と逆と考えればわかりやすいでしょう。生まれたばかりの子供どもは自分で寝返りを打つこともできません。介護保険で言えば要介護5ですね。これが次第に食事量が増えていき、起きている時間が長くなる。成長と共に介護度が減っていくわけです。
 人間の終末期はこの逆です。なぜ、亡くなる前に食べられなくなるかというと、水分を体内で処理できなくなるからです。このような状態で強制的に水分や栄養を取り入れていくと、身体がむくんだり、腹水がたまったり、痰がたまったりとかえって本人をしんどくさせてしまうのです。
 ですから、私は「身体で処理できなくなったら、できるだけ脱水状態にして自然に看ていくのが最期を楽にする方法ですよ」と説明しています。死は病気ではないので、身体の状態にあったちょうどよい傾眠、ADL、そして食事があれば。呼吸も穏やかに最期を迎えることができると考えています。

■天寿を全うすることを医療が邪魔をしないこと・・・

  もう十数年前、私が僻地診療所に勤務し始めた頃のことです。それまでは、私も病院勤務しかしたことがなく、食べられなくなったら点滴をする、状態が悪ければ入院をさせるということしか頭にありませんでした。
 当時、地域で最高齢の102才のおばあさんのところに、在宅医療にお伺いしていました。もう長年、脳梗塞で寝たきりでしたが、長男夫婦の手厚い介護を受け、自宅で療養されていました。徐々に状態が悪化し、食事がとれなくなってきました。長男夫婦は高齢でもあり、入院は望みませんでしたが、食事がとれないことを心配し、点滴を希望されました。私は本人に食事が摂れないから点滴をするように告げましたが、本人は「食事が摂れないゆになったら終わりだから、絶対に点滴はしてくれるな」と言いました。その後も、何度も家族の依頼を受けて本人に点滴を勧めましたが、頑として受け付けませんでした。
 家族も私もどうすべきか悩みましたが、私は本人を押さえつけてまで点滴をすることは出来ませんでした。本人がこれまで生きてきた102年間の最期を汚してしまう気がして・・・。
本人の希望通り点滴をせず、自然に看ていきました。点滴をしないとむくみもなく、痰も出ず、楽そうでした。私は、最期に点滴も何も医療処置をせず、自然に看ていくことはこのときが初めてでした。
 おばあさんは、約2週間後に息をひきとりました。おばあさんの顔はむくみもなく、とても穏やかで凛としていました。もし、本人の意志に反して点滴をしていたら、むくみや痰が出て、吸引をしたり、本人を苦痛にしたりしていたことでしょう。本人の天寿を全うすることを医療が邪魔をしない・・・そんな自然な看取りも選択肢にあるんだということを教わりました。
 これまで、日本の医療はとにかく治すことを主眼に発展してきました。最期まで治すことを追求して、長寿を目指してきたのです(キュアの考え方)。しかし、多死社会を迎え、どんなに素晴らしい医療を持ってしても、いつか必ず人間は亡くなるということにしっかりと向き合った上で、自然の死を受け入れることが必要になっていくと思います。「亡くなるまでどう生きるか」を追求して、天寿を全うする生き方も選択肢としてあると思います。

■「老衰」は誇れること

 老衰とは、「老いて心身が衰えること」とされています。老衰死とは、高齢の方で死因と特定できる病気がなく、加齢に伴って自然に生を閉じることです。現在は、食事を摂れなくなったら病院で検査をして、がんなどの病気が見つかることが多いです。病気が見つかると、手術や抗がん剤などの治療の選択肢を提示されることが多いと思います。しかし、在宅医療では、無理に積極的な治療を行わず、楽な治療を優先し、出来る限り輸液を制限していくので、老衰死の確率は高くなります。
 在宅医療では、無理な延命措置を行わず、あくまで自然に看ていきますので、苦痛を伴わず、呼吸も穏やかに枯れるように亡くなる老衰死に出会うことが多いです。その時、私たちは死亡診断書の死亡原因の欄に、長年生きてこられ、介護をされてきたご本人とご家族への敬意を払い、自分自身の在宅医としての誇りを持って「老衰」と書くのです。

■「楽な最期」とは、枯れるように逝くこと。

 親戚のお葬式に参列した時のことです。その方は長年、肝がんが肺に転移し、長年入院して亡くなられたそうです。お別れとなり遺体のお顔を見たとき、とてもむくんでいたので、「最期まで点滴をされたんだな」とすぐに理解できました。遺族にお聞きすると、体全体がむくんでいて、安置している間も遺体から水分が滴るように出ていたそうです。介護力もある家庭だったので、病院から在宅医療の選択肢もあることを提示されていれば、おそらく自宅で看取ることもできたのではないかとも思いましたが、その気持ちは、自分の中で押し殺しました。
 映画『おくりびと』誕生のきっかけとなった、青木新門の著書『納棺夫日記』1)にはこう書かれています。青木さんが納棺の仕事を始めた1970年代前半は、自宅で亡くなる人が半数以上で、「枯れ枝のような死体によく出会った」そうです。ところがその後、病院死が大半になり、「点滴の針跡が痛々しい黒ずんだ両腕のぶよぶよ死体」が増え、「生木を裂いたような不自然なイメージがつきまとう。晩秋に枯れ葉が散るような、そんな自然な感じを与えないのである」と記しています。
 死も人の大切な営みの一つです。ですから、その時が来たら、人の身体は楽に逝けるよう、死の準備をはじめるのです。身体はどうすれば楽に逝けるのかを知っています。それは、草や木と同じ、枯れるように逝くことです。
 前と同じように、食べられなくなったからといって、無理に食べなくてもいいのです。身体は楽に逝くために体内の水分をできるだけ減らそうとしていきます。そんなとき、無理に水分や栄養を入れると、体に負担を欠けることになります。むくみが出たり腹水がたまったり、痰も多くなってしまうのです。
 死は人の最後の営みです。その時が近づいたら、体が求めるままにうとうとと眠り、食べたいものを食べたいだけ口にしてください。その穏やかな寝息を聞きながら、家族はお別れのときが近づいていることを静かに覚悟することでしょう。

引用文献
1)青木新門:納棺夫日記、文藝春秋、1996