職員リレーエッセイ

  

05 大切な思い出

私にとって忘れることが出来ない、大切な出会いの1つにK君がいる。
毎年、新年度を迎えるこの時期に必ず思い出す。そして、私の手にある無数の小さな傷を見る度に、大切な気持ちを思い返すことが出来る。

当時、特別支援学校の教員だった私は、入学式で初めてK君と出会った。
大きな目、さらさらの髪、前髪はばっちり短く切り揃えられ、あどけなさが可愛らしい。
自閉症。見通しの持てない活動は苦手。発語はない。好きなことは、土遊び。


緊張の面持ちで迎えた入学式。式は見通しが持てるよう写真で流れを示していたが、式典では飾ってある花壇の土、私のストッキングの感触を求めて、走り回る。椅子に座ることがまず出来なかった。制止するも他傷行為あり、式後の記念写真には疲れ果てたK君と私が写っていた。
これから1年、私はK君にどう関わろう…不安しかなかった。

玄関で靴を脱ぐこと、物事には始まりや終わりがあること、椅子に座ること、コミュニケーションもとれず、絵文字も写真カードも伝わらず、実物で示し、一つ課題が出来ればお気に入りのスペースで過ごす…を繰り返す。
それでも、集団行動は苦手。
見通しが持てない活動は、不安からパニックになる。

ある時、K君は感情が爆発した。
暴れ、私に噛みつき、つねり、ありったけのエネルギーを爆発させた。僕はどうしたらいいの!
放課後、暴れて散らかった教室を片付けながら、自然と涙が溢れた。自閉症がゆえに、苦手なことがあること、みんなと合わせることは、K君にとっては不安、苦痛でしかない。
私だって、異国で言葉も文化も違う空間に放り出されたら、何を手がかりにコミュニケーションする?
道も決まった道じゃないと不安になる、本当に着くのか?どこに行くのか?
想像したり、結びつけたり、自閉症のK君は苦手なのに、集団に合わせようと、これぐらいなら大丈夫かなという私の認識の甘さが、原因だ。

片付けをしていると、同じ学部の教師達が集まってきて、何も言わず一緒に片付けてくれた。 先生も辛いよね、でも、誰が一番辛い?先生がK君の味方にならないと、と。私に言ってくれたこの言葉で、もう一度K君と向き合おうと気持ちを奮い立たせた。

授業の在り方、集団への参加の仕方を色々見直した。私の授業も全てビデオに撮り、私や周りの教師の関わり方を検証し、学校内でも何かある度に話し合った。K君にとって、クラスが、学校が心地よい空間になるように、近くにいる私を、信頼しても良いんだよ、と思ってもらえるように。

沢山の行事をこなす中で、学校にも慣れ、私含め関わりが深い教師には笑顔を見せるようになり、言葉はないものの、声を出すことが増えてきた。椅子にも座れるようになり、ホットケーキやフルーチェは手順書を手掛かりに1人で作れるようになった。食べることが大好きなK君。好きなことを通して、出来ることが増え、出来ないこともパニックになる前に私を頼るようになり、人をコミュニケーション手段として関われるようになった。
それでも小さなパニックはあり、つねったり引っ掻かれたり、手の甲には無数の傷が残ってしまった。
上手く言葉で伝えられなくて、拒否や怒りが他傷行為として表れる。それを少しでも減らすことが、K君への課題として残った。

大暴れした入学式から1年、私が去る離任式でK君はずっと座っていた。
最後のお別れのとき、K君は私の手を離そうとせず、ニコニコしていた。
お父さんから、この子がお菓子の袋を開けられない時、泣いてパニックだったのに、開けて、と言う仕草をしてきた、人間らしくなってきた、すごく嬉しかったと言われた。
お母さんから、やっとこの子がかわいいと思えるようになった、ありがとうと言われた。

私は、今2人の子供の母親となり、仕事では高齢者に関わっている。
K君との出会いがあったからこそ、子供に対する想い、成長の中での小さな変化の重みがわかる。
そして、言葉にならない言葉こそしっかりと感じ取れる人であり、気持ちを汲み取りたいと思う。
関わる方々が辛い時こそ、本当に誰かを頼りたい時こそ、一番身近なところで関わり、声にならない気持ちを感じられる人であり続けたいと思う。

Written by 訪問介護員 S