職員リレーエッセイ

  

14 コミュニケーションを考える

「この世の中に存在しているのは自分だけではないか」と思ったことはありませんか?確かに自分の身の回りには他者が存在しているようだが、存在を認識できるのは自分だけ…。

オーストリアのある哲学者は、そのことを「視野」に例えて、うまく表現しています。目に見えるもの、それだけが「私の世界」ではないのか…。確かに認識できるのは「自分の視野内だけ」ではないのか…。視野の中に居る他者は、他者の視野内での世界に住んでいる。すなわち、ここに居るのは自分だけだ。いわゆる独我論です。


2008年の秋葉原通り魔事件、2018年の新幹線内殺傷事件、これらの犯人は同じ言葉を口にしています。「殺すのは誰でもよかった…」彼らはこの独我論の中で生きていたのです。彼らの生きる世界には他者は存在しませんでした。

私はこの独我論を否定するものではありません。全てとは言いませんが、ある程度真理(まことの道理;広辞苑)だと思います。しかし、人は一人では生きていけないということもまた真理だと考えます。

これらの二つの真理を結ぶもの、これこそがコミュニケーションではないでしょうか。コミュニケーションの方法として、まず思い浮かぶのが「言語」です。しかし、言語を過信することは危険です。例えば「赤い」という言葉。独我論に従えば、この「赤」は人それぞれで違います。日本語で表現するなら、紅、朱、緋、茜・・・と多様です。ですから、自分の中の心象を言語で他者に正確に伝えることは、我々が考えている程容易なことではありません。極論するなら正確に伝えることは不可能です。

私たちの仕事は他者へのアプローチ、すなわちコミュニケーションが非常に大切ですが、このコミュニケーションの危うさ、困難さを知った上で、仕事に臨まねばなりません。「言語」の他に「タッチ」や「態度;例えば他者の目を見て話すetc」もコミュニケーションの有力な方法ですが、これらとて、その危うさ、困難さは「言語」と同様ではないでしょうか。

Written by Y 医師