たんぽぽコラム

フリートーク

著者:永井康徳

  

第2回 「自分らしさ」とか「寄り添う」って悪い言葉?


在宅医療の分野では、患者さんもしくはご家族の「自分らしさ」を尊重しようという人たちが多いと思います。在宅医療というのは、自分らしさに寄り添うとか患者さんの気持ちに寄り添うということを中心に考えていく医療だと思うのです。

在宅医療では、それを目指してやってきていますし、患者さんの「自分らしさを支える」とか「自分らしく生きることを支える」などのテーマで講演会が行われたり、「患者さんの気持ちに寄り添う」などの言葉が使われることも多いと思います。「自分らしさに寄り添う」とか、「患者さんに寄り添う」とか、ちょっと上から目線でなんか気持ち悪いと言う人も最近見かけるようになりました。そのような意見を聞いたときに、全てを包含したような完璧な言葉ってないと思うのです。「寄り添う」という言葉にしても、見方によっては上から目線であるとか、「自分らしく」と言っても人それぞれ違うし、その人がどう生きようと自由じゃないかと言われればそれはそうですよね。私は、言葉遊びってすごく嫌いなんですけど、「自分らしさ」とか「寄り添う」と言っている人はそういうことを言いたいわけじゃなくて、本人一人ひとりにとって最善は違うわけだから、本人の気持ちを最優先しながら、その本人の気持ちにできるだけ寄り添っていこうという意味で使っていると思うんですけど、それはおかしいという人もでてくるわけです。在宅医療を推進する立場として、「自分らしく」っていうことがダメなことだとか「寄り添う」っていうことがダメだっていうふうになると推進や普及に支障が出ると思うんです。

例えばゆうの森には、看護学生がたくさん来ます。看護学生たちが来た時に在宅医療で何が見たいかっていうのを皆話すんですけど、大抵の人が「患者さんに寄り添った医療を見たい」とか、「どういう風に寄り添っているのかを見学したい」とか、「患者さんの人生に寄り添った医療を提供できる看護師になりたい」って言われるんですね。私自身はそういう医療を目指すということはすごく良いことだと思うんですけど、患者さんに寄り添うってすごく難しいことなのに、その言葉を簡単に使って本当に実践できるのかとも思います。そういう言葉が溢れてくると異論を唱えてくる人が必ず出てくると思うんです。そんな時、看護学生たちにこう言います。「患者さんに寄り添うという気持ちを持って医療者になることはすごく大切なことですよ。ついつい医療者になるとそういうことを忘れがちになるので、その気持ちをずっと持っていってくださいね」と。でも本当に寄り添うっていうことはどういうことなのかっていうこともお話しします。

私自身の例で恐縮ですが、私も47歳の時に進行癌で手術をして2週間くらい病院に入院しました。その時、病院の医師も看護師も皆良くしてくれたんですけど、病室を訪問してくる人が、この人は"Doing"(施す医療)の人、この人は"Being"(支える医療)の人と区別がつくんです。"Doing"の人は業務をするために来る人です。「はい、体温測ります。採血しますよ。先生の診察ですから周りの人は部屋の外に出てください」とか。そのように自分の業務を優先しようとする人と本当に手術後に私がいろいろしんどかったり、癌になって苦しい気持ちであったり、そういうところに配慮して、私の気持ちに立とうとしてくれる人との2つに分かれるような気がしたんですね。

在宅医療をしている立場として、私たちが目指すものは、患者さんの立場に立って、できるだけそこに寄り添って、その人にとっての最善を実現できるように、そして最終的に亡くなったりしても、満足できるように支えていく医療が大切になると思うわけです。"Doing"(施す医療)の医療と"Being"(支える医療)の医療、この2つの立場は決して相反するものではないんですが、どちらも持ち合わせるということが1番大切なことだと思うのです。医療っていうのは医療者が医療を施すためにあるんじゃなくて、患者さんが病気を治したり病気や障害とうまく付き合いながら、満足できる療養生活をしたり、最後看取りをできるように支えていく医療というのが両方必要になってくると思うんですね。 日本の医療っていうのは、私も医学部でいろいろ医学を教えてもらいましたけど、とにかく病気を治して検査して早く見つけて早く治そうというところから"Doing"の医療として発展してきました。在宅医療は最近普及し始めたところです。在宅医療とか緩和ケアの分野では、患者さんにとって最善は違うけども、その最善が何なのかを一緒に周りの人でみんなで考えてそれを実現できるようにしていこうっていう支える医療が主体の医療です。もちろん治療もしますが…。

そういう医療が普及していく上で、ただ単に患者さんを客観的に見て病気を治すことだけを目指すのではなくて、その人が病気や障害を持っても家で療養できたり、最後満足して看取りができたり、そういうことを目指していくというのが在宅医療なので、一人ひとりいろんな人がいていろんな最善はあるわけですけど、その気持ちに寄り添うこと、その人の気持ちに立って考える、そういうことが大切なんだよという意味を込めて、「自分らしさ」とか「自分らしく生きることを支える」とか患者さんやご家族に「寄り添う」っていう言葉が出てきているんだと私は思います。

患者さんの立場に立つ、一人ひとり最善は違うこともそれに寄り添って医療を行っていくことの大切さっていうのを知ってもらわないといけない。だから、それをそういう言葉を使って普及しているんだと思います。すでにみんながしていたらそんなこと言わなくていいと思いますが、知らない人たちがたくさんいるからこそそういう言葉を使ってわかりやすく伝えないといけないと思います。それをそんなのはダメだとか言うんじゃなくてそれぞれの立場とか意味が言葉にはあるわけですから、そういう言葉をうまく使いつつ、皆が在宅医療とは何なのか、患者さんにとって最善の医療や選択は何なのかを考えることが大切だと思うんです。在宅原理主義とか言われる人もいるんですけど、在宅医療が1番良いわけではもちろん全くないし、病院で最後を看取った人が幸せな人ももちろんいます。でも、病院で7割以上の人がまだ亡くなる時代で、家で亡くなることができるの?っていう人が多いから、在宅医療を選択したり、おうちに帰る選択肢があるということをお伝えしてるわけなんですよね。一人ひとり最善は違うのが大前提であるし、在宅医療とか自分らしく生きるということももちろん選択肢の1つです。全てを網羅する言葉っていうのはないですけど、いろいろ普及していく上で批判するんじゃなくてそれぞれの思いを尊重しながらやっていくっていうことが大切です。

自分らしさっていうところで、私たちが実践しているのは、点滴とか医療を最小限にすることで本人が食べたいものを食べられる、見た目も美味しそうで食べたいものを食べられるようにして最後まで食べることができる、本人がやりたいことをとにかくサポートしていく。おせっかいと言われればおせっかいかもしれません。でも、言葉遊びするんではなくて、そういう風にいろんな人の思いというのを大切にしたり、尊重したりしながら、この在宅医療をもっと多くの人に知ってもらって、広がっていけばいいなと思います。

「自分らしさ」は一人ひとり違うし、本人にとっての最善は一人ひとり違うことはわかった上で、医療者が病気だけでなく、本人の生活ややりたいこと、生きがいや家族、地域や人生にも視点を広げるためにも、患者本人の「自分らしさ」を尊重したり、患者に「寄り添う」ことは、在宅医療の根幹に関わる大切な言葉なので、決して避けるのではなく、誤解を受けないように丁寧に説明し、大切に使っていきたいものですね。