著者:永井康徳
がんの告知が当たり前となった今でも、病室には重い沈黙が横たわっています。医師は家族に余命を語りますが、患者本人の前では言葉を濁します。「本人がかわいそう」という優しさが、かえって患者の心を孤独にしています。白いベッドの上で、真実を知らされないまま時を過ごす患者たち。彼らの本当の想いは、誰にも届かないまま宙に浮いています。
しかし、その沈黙が残す傷は深いものです。患者が旅立った後、家族は「本当はどうしたかったのだろう」と自問し続けます。もし生前に患者の希望を聞き、一つでもその願いを叶えることができていれば、遺族の心は違っていたはずです。大切なのは具体的な余命ではなく、限られた命であることを共有することです。その認識があってこそ、残された貴重な時間をどう過ごすかを一緒に考えることができます。
医師が告知を避けるのは、医師自身が患者の死と向き合えずにいるからかもしれません。日本の医療現場では長らく「病気を治すこと」が至上命題とされ、「死は医療の敗北」という価値観が根強く残っています。高度な医療技術を駆使してでも生命を延ばそうとする姿勢は尊いものですが、時として患者の尊厳ある最期への道筋を見失わせてしまいます。
多死社会を迎える今、医療の目標も変化すべき時を迎えています。「いかに長く生きるか」から「どのような最期を迎えたいか」へ。死に向き合うことは決して絶望ではなく、限りある人生をより豊かに生きるための出発点なのです。患者と家族、そして医療者が一体となって死を見つめ直すとき、真の意味での「生きる」ことが始まるのかもしれません。