たんぽぽコラム

フリートーク

著者:永井康徳

  

第26回 「カリフォルニアから来た娘症候群」
〜『たんぽぽ先生の在宅医療パターンブック』パターン13より〜


「カリフォルニアから来た娘症候群」という言葉を聞いたことはありますか。
英語で「daughter from California syndrome」。これは病気の名前ではありません。在宅医療や終末期医療の現場で、実によく知られた"ある場面"を指す言葉です。
どんな場面かというと ── それまで介護にほとんど関わってこなかった遠方のご家族が、終末期になって突然あらわれて、「なぜもっと治療しないんだ」と現場を混乱させてしまう。そんな状況のことです。アメリカで生まれた表現で、遠くカリフォルニアに住む娘が久しぶりに実家に帰ってきて…というイメージですね。

今回は、日本医事新報社から出版した『たんぽぽ先生の在宅医療パターンブック』パターン13「家族間で意見が異なる場合」から、まさにこの症候群があらわれた、あるご家族のケースをご紹介します。

【トオルさんのケース ── 静かな看取りを望んだご夫婦】
主人公は、75歳のトオルさん(仮名)。 胃がんの既往があり、2年前に肺への転移がわかりましたが、通院も治療もせず、ご自宅で過ごされていました。食事が摂れなくなって、「水分補給の点滴だけしてほしい」と、当院に訪問診療の依頼が入りました。ただし「点滴以外の治療は希望しない」とのことでした。
初診に伺うと、トオルさんは極度のるい痩で、トイレに行くにも奥さまのアケミさんの介助が必要な状態でした。トオルさんは、ご自分でがん治療や薬について調べ、医療に対して懐疑的な考えをお持ちの方でした。そして「最期はどこで、どのように迎えるか」を、奥さまとよく話し合っておられたのです。「急変しても入院せず、在宅で可能な治療だけでいい」「点滴や人工栄養は希望せず、自然な形での看取りを希望する」と、最初からはっきりおっしゃっていて、アケミさんも同意されていました。まさに、人生会議ができていたご夫婦です。
がん性疼痛が出てもおかしくない状態でしたので、主治医は医療用麻薬をお手元に置いてもらいました。実際、初診の3日後の深夜に「息が苦しい」と連絡があり往診したところ、手元の麻薬を服用してもらって、すぐに体が楽になり、それ以降は、きちんと服薬してもらえるようになりました。本人の意思に沿った、穏やかな在宅医療が始まっていたのです。

【そして"娘"がやってくる】
トオルさんは、アケミさんとの2人暮らし。お子さんが2人いて、息子さんはハワイ在住、娘さんは国内ですが遠方に住んでおられました。
ここで、まさに「カリフォルニアから来た娘症候群」が起こります。 父親が在宅医療を受けはじめたことを知った娘さんが、久しぶりに実家に帰省し、変わり果てた父の姿にショックを受けたのです。
娘さんは主治医に電話で、矢継ぎ早に質問されます。「父がもう治療できない状態なのはわかっています。でも、入院させなくていいのでしょうか。栄養をとらせなくていいのでしょうか。母は父の介護を放棄しているのではないでしょうか」と。

主治医は、人工栄養について丁寧に説明しました。今の時点で栄養をとっても元気になる可能性は低いこと、末梢点滴のデメリット。そのうえで「もう少し長生きしてほしいというお気持ちも含めて、ご家族それぞれにいろいろな考えがあると思います。ご本人にとってより良い方法を、みなさんで相談してください」とお伝えし、娘さんも、いったんは了承されました。

ところが5日後、役所から「トオルさんへのネグレクトの疑いあり」と連絡が入ります。娘さんが「母が虐待をしている」と役所に通報したのです。「父はいつの間にか末期がんにされて、受けられるはずの治療も受けられていないのでは」と。しかし役所が訪問調査をした結果は「問題なし」。ご本人の同意がない以上、強制入院はできない、という結論でした。
まさに、遠方の娘さんの登場で、それまで穏やかだった現場が、一気に揺らいでしまったわけです。

【なぜ"娘"は治療を求めるのか ── 介護への距離感】
ここで大事なのは、この娘さんを、けっして責めないことです。
なぜこうしたことが起きるのか。カギは「介護への距離感」にあります。 同居しているご家族や、日頃から介護を担っている人ほど、日々の変化をともに感じている分、ご本人の気持ちや生活のリアリティに敏感で、本人の意思に寄り添った考えを持ちやすい。 一方で、遠方に住むご家族は、久しぶりに会った患者さんの衰弱ぶりに驚き、現状の方針に疑念を抱いて、方針転換を求めることが多くなります。
久しぶりに衰弱した父を見て驚き、なんとかしたいと思う。その気持ち自体は、まぎれもなく愛情の表れです。ただ、話し合いの場に居合わせていなかったために、気持ちがついていかなかった。それが「カリフォルニアから来た娘症候群」の正体なのです。

【平行線のまま迎えた最期】
翌日の訪問診療には、娘さんも同席していました。主治医が点滴を勧めても、トオルさんは「点滴はしません」ときっぱり。娘さんは「3日後にハワイの兄が帰ってくるから、それまでは点滴を受けて生きていてほしい」とお願いしましたが、トオルさんは「息子が帰ってくるまでは、点滴がなくても頑張って生きる」と答えられました。
主治医は「ご家族もご本人も、いろいろ考え、迷われるのは当然のことです。明日、お気持ちが変わって点滴を受けたいと思われたら、いつでも点滴をしますから、遠慮なくおっしゃってください」と伝えました。声の大きい意見に流されるのでも、娘さんを突き放すのでもなく、本人の意思を最優先にしながら、ご家族の気持ちにも寄り添う。この姿勢がとても大切です。

そして息子さんが帰ってくる予定の日まで、トオルさんはなんとか持ちこたえます。息子さんが無事に到着して声をかけると、トオルさんは少し目を開けて、声を出そうとされたそうです。
数日後、トオルさんは希望どおり、ご自宅で看取られました。

実はこの息子さん、半年前に帰省したときに、お父さんの余命が1年もないことを聞き、最期まで家で過ごしたいという父の希望について、ご両親と話し合っていたそうです。妹さんは、その話し合いの場にいなかった。だから、気持ちがついていかなかったのですね。同じきょうだいでも、話し合いの場に居合わせたかどうかで、これだけ受け止めが変わるのです。

【「娘症候群」に振り回されないために】
では、私たちはこの「カリフォルニアから来た娘症候群」と、どう向き合えばいいのか。ポイントを整理します。


① 方針決定は早めに、そしてできるだけ多くのご家族を、早い段階から巻き込んでおくこと。遠方のご家族ほど、早くから情報を共有し、意思を確認しておくことで、後のトラブルを防げます。

② もし意見が分かれてしまったら、探すべきは「味方」です。本人の思いを理解してくれる人を見つける。それはご家族とは限らず、医療者やケアマネジャー、ご友人でもかまいません。

③ そして何よりも、立ち返る軸は「本人がどう生きたいのか」。終末期医療で最も尊重されるべきは、本人の尊厳と意思です。意見が分かれたときこそ、この軸を忘れないことです。

【終わりに】
「カリフォルニアから来た娘症候群」。名前は少しユーモラスですが、在宅の現場では、決してめずらしくない場面です。遠くから来た娘さんの言葉の裏には、たいてい、深い愛情と後悔があります。それを頭ごなしに否定せず、でも本人の意思はしっかり守る ── そのバランスこそ、私たち在宅医療に携わる者の腕の見せどころだと思います。

もっと詳しく知りたい方は、ぜひ『たんぽぽ先生の在宅医療パターンブック』パターン13をご覧ください。

関連動画 「カリフォルニアから来た娘症候群」
〜『たんぽぽ先生の在宅医療パターンブック』パターン13より〜