著者:永井康徳
皆さんは、人生を振り返った時に、ふと思い出す一食ってありませんか。
忙しく働いていた頃の昼ごはん、大切な誰かと一緒に食べたごはん。食事って、実はその人の人生と重なっているのです。今回はそれを強く感じた、ある患者さんのお話です。
おせちのエピソード
終末期の患者さんに、お正月のおせち料理をお届けした時のことです。
その方は、もう自分で起き上がることができず、ほとんど食べられない状態でした。
「明けましておめでとうございます」と声をかけると、ご本人は身体を起こして、お膳をじっと見つめられたのです。
しばらくして様子を見に行くと、料理は手つかずのまま。でも、患者さんはお膳の前にずっと座っていました。
「すこし召し上がりますか。それとも、お下げしましょうか」とお聞きすると、こう言われたのです。
「まだここに置いていてください」
そして少しの沈黙の後、嬉しそうに話し始められました。
「大晦日、冷たい水に手をぬらしてね。黒豆、数の子、昆布巻き。私もつくりましたよ。家族が来年も元気でいられるようにって。子どもや孫が大勢帰ってきてね、玄関は靴でいっぱい。忙しくて忙しくて、私が座る暇はなかったんですよ。もう少し見ていたいんです」
食は人生と重なっている
この時、私は気づきました。
食べられなくなっても、食がその人の人生から消えることはないのです。匂いや色だけで、記憶されていることもある。
この患者さんにとってのおせちは、これまで生きてこられたすべてのお正月と、ご家族との大切な思い出と結びついていたのです。
一口も食べなくても、おせちを見つめるその時間が、その人の人生そのものだったのです。
私たちが支えようとしているのは、栄養としての一食ではなくて、その人のなかに残り続ける「忘れられない食事」なのだと、この時思いました。
支える人もまた、食べる人
そして、もう一つお伝えしたいことがあります。
支える側の私たち医療者も、また「食べる人」です。
忙しい外来や訪問の合間に、気がついたら昼食が夕方近くになっている。誰もいない静かなランチルームで、ようやくお弁当を食べている職員を見かけることがあります。そんな時、「おつかれさま。今食事?」と、思わず声をかけたくなります。
ごはんを食べること、そして、食べる人を見届けること。そのどちらにも、言葉にならない安心感があるのです。
この一食が自分を支え、次の仕事へ向かう力になる。それは患者さんも、私たちも同じです。
終わりに
病気になって入院すると、食事は「管理されるもの」になりがちです。もちろん治療のためには必要な過程です。でも、食事が本来持っている温かさや、その人らしさが、少しずつ遠ざかっていく過程でもあります。
もう食べられないと思われている患者さんの「食べたい」という願いを知った時、一人の力では難しいかもしれません。でも、患者さんのそばで気持ちを聴き続けて、同じ志を持つ仲間に相談してみてください。あらゆる職種が歩み寄れば、それはやがて一つのチームになります。
どこにいても、「忘れられない食事」が静かに温かく守られていくことを願っています。