たんぽぽコラム

おうちでの看取り

著者:永井康徳

  

第13回 亡くなる前に点滴はいらない

人は生まれたらいつか必ず亡くなります。そのことに誰も異論はないことでしょう。にもかかわらず、私たちは死に向き合う機会を持てていないように感じます。
これは、日本の医療が「治す」ことを追求して発展してきたことが大きく影響しているのかもしれません。私たち在宅医療クリニックに紹介されてくる癌の患者さんは、病名の告知はされていても、病気がもう治らないことや、限られた命であることなどは、十分な告知をされていないケースがまだまだ多くみられます。

また、癌以外の病気の方は状態が悪化すると、治ることを期待して病院に行きます。例えば、看取りが近い高齢者が急に熱が出て息苦しくなり、救急搬送されたとします。そこで誤嚥性肺炎と診断されると、治療のために絶飲食となります。本人の意思を確かめることもできず、点滴や人工栄養が始まり、寝たきり、身体拘束、吸引というつらい処置が重なり、徐々に容体が悪化して、病院で亡くなっていく方が多い現状です。

亡くなる前には当然食べられなくなります。「食べられなくなったら点滴をする」というのが現代の日本の医療の常識でした。点滴をして元気になるならよいのですが、看取り期の人の身体は、点滴をしても元気にならないのです。それどころか本人は苦しむことになってしまいます。
なぜかというと、看取りを迎える体は、水分や栄養を体で処理できなくなっているからです。体で処理できなくなると次のような三つの症状が出現します。

①吸引が必要
②浮腫(むくみ)が出る
③胸やおなかに水がたまる

体で処理できなくなった状態の時に無理に点滴をしなければ、この三つの症状は現れにくく、穏やかな最期を迎えられることを私は数多く経験してきました。病院では最期まで点滴をすることが多いのですが、実は緩和ケアや在宅医療の現場では、亡くなる前に点滴をすることが少なくなってきています。点滴をしなければ、吸引も必要なく、場合によっては口から食べられる可能性もあるのです。
人類の歴史上、亡くなる前に点滴をして、絶食で最期を迎えるようになったのは最近の何十年かだけのことです。人も動物も植物も、最期は枯れるようにして、楽に最期を迎えられるようになっているのです。ですから、亡くなる前に点滴はいらないと思います。

死は生まれることと同様、「人としての尊い自然な営み」です。死に向き合えば、「亡くなるまでどうよりよく生きるか」という本人の意思に寄り添う医療やケアが提供でき、日本人の看取りのあり方も変化していくのではないでしょうか。

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