たんぽぽコラム

おうちでの看取り

著者:永井康徳

  

第21回 どんな状態でも家に帰ることはできます

三十代の男性の方でした。若くして、肝硬変、肝がんとなり、長年の闘病生活を続けていました。肝がんの末期となり、身体全体がむくみ、お腹に水もたまって、「中心静脈栄養」という高カロリーの点滴をしていました。食事もほとんどとれないため、自分の死期が近いと考えていた男性は、「死ぬ時は家に帰りたい、最期は友人たちにも会いたい」と思っており、病院の連携室を通じて在宅医療への移行の相談をしていました。彼はもともと鉄道マニアで、いつか寝台列車のカシオペア号に乗りたいという夢を持っていました。その夢を実現させてあげたいと、お母さんと妹さんはカシオペア号の特別室のチケットを予約していたそうです。カシオペア号のチケットはプレミアチケットでなかなか手に入らないのですが、退院前にチケットが手に入ったのです。男性は病状が悪く、行けるかどうか分からないため、行けなかったら可哀想ということで、ご家族は男性にカシオペアチケットのことは知らせていませんでした。しかし、退院後に調子が良かったら乗せてあげたいと考えていたそうです。

退院の準備が整い、明日退院という日に男性は吐血しました。食道静脈癌の破裂でした。肝硬変の末期の症状です。入院中だったので、適切な処置を受け一命を取り留めました。その後状態は落ち着いたのですが、主治医からなかなか退院の声がかかりません。ある日、主治医が病室を訪れた時、彼は主治医に思い切って質問しました。「先生、僕は家に帰れるでしょうか?」その時、主治医は優しくこう答えたそうです。「良くなったら帰りましょうね。」しばらくして、私が彼の病室を訪問した時、お母さんからその話を聞きました。その時、彼とお母さんはこう思ったそうです。「良くならなければ帰れないのな ら、病状が悪くなるばかりなのでもう家へは帰れない」と。私はその時、男性と彼のお母さんにこうお話ししました。「そんなことはないですよ。家に帰りたいと思ったら、どんな状態でも帰れるんですよ。」

そして、退院が決まりました。男性とご家族の強い希望で退院が実現したのです。さっそく私たちも訪問し、在宅医療を開始しました。まず私たちがしたことは点滴をやめることです。末期の状態で水分を体で処理できないのに無理矢理点滴で体に水分を入れると、むくみや腹水、痰が増えるなどして、本人にとってつらい症状ばかりが増えていきます。点滴をやめると、みるみるむくみが取れ、動けるようになっていきました。腹水がたまってパンパンだったおなかもペちゃんこになり、なんと食事が摂れるようになりました。痰が少なくなったため、痰の吸引も不要になりました。終末期の悪循環と私は呼んでいるのですが、体の処理が出来なくなった終末期に最後まで点滴を行うことで、本人はしんどくなることが多いのです。医療を最小限にすることで本人のやりたいことが実現できるのです。

彼は、会いたかった友人たちを自宅へ招き、楽しい時間を過ごしました。仲の良い友人たちの中には、介護のために交代で寝泊まりしてくれる人もいました。いい時間が過ごせていましたが、やはり病状は悪化し、いよいよという時が来ました。診療に伺い「今晩が山ですよ」とご家族にお伝えしました。その時、ご家族からこんなお話がありました。「先生。今日は、カシオペアの特別室で旅行に出発する日だったんですよ」。ご家族はその夜、男性のベッドに一緒に寄り添い、カシオペア号で旅行している自分たちの姿を想像していました。「今頃、盛岡駅に着いているかな…」と。翌朝、男性は穏やかに息を引き取りました。ご家族と友人たちに見守られながら。

亡くなられた後、男性のお母さんから、こんな言葉をいただきました。「先生、先生がどんな状態でも家に帰れるんですよ、と言ってくれた時、背中を押してくれた気がしました。あの言葉がなければ、家に帰ることはできなかったかもしれません。ありがとうございました」病院で最期まで治療し続ける選択もあれば、家に帰って、やりたいことをして亡くなるという選択肢もあります。しかし、その選択肢を患者に提示するためには、医療従事者が、その先にある患者の死を避けずに、しっかりと向き合わなければなりません。さもないと、患者さんやご家族は、「家に帰る」という選択肢さえ与えられないのですから。男性が在宅療養の選択肢を得られずに病院で亡くなっていたとしたらどうだったでしょう か。「本人が後悔しない選択は何か?」患者本人としっかりと向き合う医療が望まれてい ると思います。

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