たんぽぽコラム

おうちでの看取り

著者:永井康徳

  

第24回 楽なほうがいいか、1分1秒でも長く生きるほうがいいか

10年ほど前の話です。ある大病院の地域連携室から「まだ、自宅に帰るかどうかわからない患者ですが、カンファレンスに参加してもらえますか?」との案内を受けて、患者本人・家族抜きの、病棟と緩和ケアチームの医師と看護師、連携室看護師がメインのカンファレンスに出席しました。患者さんは、52歳の末期ガンの女性、明美さんです。 明美さんはある日、胃痛で外来を受診したところ、全身に転移した進行胃ガンで、手術はできない状態でした。抗ガン剤も効果がなく、全身倦怠感や腰の痛み、胸水による呼吸困難といった症状が出て、胸水を抜くために入院をしていたのです。
カンファレンスでは、今後の方針を話し合うということで、冒頭に主治医から現在の病状と経過について説明があり「もうガンは進行しており、積極的な治療の方策はなく、緩和ケアしか行えない」とのことでした。

明美さんやご家族への告知の状況について、私から質問しました。すると主治医は、「患者本人は、ガンであることと現在の病状についてはわかっている。もう状態が悪くなっていることも自覚しているだろうから、それ以上は話さなくてもいいと思う。ご主人には『もう抗ガン剤の治療はできず、何ヶ月もは持たないよ』とは話している」ということでした。私は、この説明では曖昧で甘いなと思いました。この曖昧さが、次の一歩を踏み出せない現状を生み出していると考えました。そこで私は、参加している医師たちに余命を聞きました。すると、「1ヶ月持つかどうか、早ければあと1〜2週間で亡くなる可能性もある」とのこと。そこで私は「そんなに短い予後なら、あと1ヶ月の間、どのように最期を過ごしてもらいたいか、どこで最期を迎えたいかを本人や家族に考えてもらうべきです。まず、もう病気を治すことはできないこと、でも楽にする治療はできることを主治医から伝え、限られた命であることをお伝えすべきなのではないでしょうか?病状や余命について、医療従事者と本人や家族の間でギャップが生じています。最初のボタンの掛け違いを修正していきましょう」と話しました。

ある医師からは「あと1ヶ月という告知をするのは酷なんじゃないか」との意見が出たので「1ヶ月という告知が難しいのなら、まず治療はもう難しいことを伝えた上で、限られた命であることを主治医が逃げずに伝えることが大事だと思います。もしあと1ヶ月くらいしか生きられないと知ったら、明美さんはその限られた時間をどう過ごそうか、どこで最期を迎えたいか、最期にどのような療養を受けたいかなど考えると思うんです。そして、明美さんが望む最期を私たちがお手伝いしていってあげればいい。明美さんが最期には後悔しないように」と話しました。

今度は別の先生が「おそらくこの人は呼吸不全で亡くなります。だから、胸水をしっかり抜いてあげれば、ずっと持つと思いますが…」と胸水を抜く方針を強調しました。私は「医療は誰のものなんだろう」と心の中で強く思いながら、こう言いました。「繰り返しになりますが、治療はできないこと、限られた命であることをお話しした後で、残りの命を楽にすることを優先するのか、いろんな医療処置を駆使して1分1秒でも長く生きたいのかを決定するべきなのではないでしょうか?」
結局、明美さんに十分状態を説明し、今後どうするかを主治医と明美さん、ご家族で話し合ってもらった上で、自宅に帰ることを希望されるようであれば、退院の準備を進めることとなり、自宅に帰る場合は、点滴と胸の管は抜いて帰るという方針になりました。

その1週間後、明美さんが退院を希望されたとの連絡が病院からありました。しかし、結局、主治医は明美さんに踏み込んで話はしていないという情報も伝えられました。明美さんは胸水が抜けて良くなったから帰ると思っていたのです。

退院日に自宅に伺い診療をしました。最初に「病院ではとことん治療できますが、自宅では積極的な治療はできないことをご理解ください。でも、楽にする治療はでき、病院での医療に遜色はありません。楽になることは最優先でやっていきます」とお話しすると、明美さんはにっこりと微笑んでうなずきました。そして明美さんに「これから1分1秒でも長く生きたいですか?楽になることを優先してほしいですか?」と尋ねたところ、即座に「そりゃあ、楽になることを優先してほしいです。少々長く生きるよりも、できる限り家で過ごしたいし、その方が気持ちが楽です」と答えました。「少しでも長く」と望まれるのであれば、何より治療や延命を優先するため、入院を勧めます。楽にすることを優先していくのか、1分1秒でも長く生きることを選ぶのかで、明美さんの今後の療養方針はまったく別のものになるのです。

退院して8日目、明美さんは自宅で息を引き取りました。亡くなる10分前まで会話もできていたそうです。ご主人や実父、友人たちに見守られながらの最期でした。ご主人も「病院ではなく、家で看取ってあげてよかった」と言っていました。そしてご主人から、明美さんは脳梗塞で寝たきりになり、気管切開をしていた実母を16年間自宅で介護していたという話を伺いました。明美さんが療養し、明美さんのご遺体が横たわっているそのベッドで、実母を介護し、看取ったというのです。その実母が亡くなる直前に、自身のガンがわかったのだそうです。そんな明美さんにとって、在宅療養はとても思い入れがあるものだったでしょう。

医療は患者のためのものであり、自分たちの医療技術を誇示するために用いるものではありません。その患者さんにとって、どのような治療や方針が最も満足のいくものなのかを考えていくべきではないでしょうか。

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