たんぽぽコラム

おうちでの看取り

著者:永井康徳

  

第27回 納得できる過程とは?

朝一番に急性期病院の医師から困り果てた声で「今日にでも退院したいという患者がいるのでお願いできないか?」という電話がかかってきました。なんでも、「今すぐに家に帰せ」と叫ぶ92歳の女性患者がいるとのことで、急遽、その日の午前中に退院前カンファレンスを開くことになりました。

その女性、カズコさん(仮名)は、女手一つで3人の子どもを育て上げ、自宅も購入して、悠々自適な老後を送っていた方でした。心臓弁膜症のため通院していたのですが、心不全を起こして2週間前から入院していたそうです。酸素療法や点滴治療を受け、回復とともに意識がはっきりしてきたカズコさんは自分が置かれている状況もわかり始め、自分の体にIVH(中心静脈栄養法)や経鼻栄養、尿道カテーテル、人工呼吸器(ASV)が着いているとわかると「全部外して!病院は嫌だから家に帰して!」と叫び出したのだそうです。「自分が望まない治療を受けさせた」と言って、同居している息子にも腹を立てているとのことでした。
カンファレンス時にはすでにASVもIVHも外されていて、SpO2(経皮的動脈血酸素飽和度)が80%台と低値だったにも関わらず、カズコさんは多弁で「病院は嫌だから、家に帰りたい」と大きな声でずっと喚いているような状態でした。その様子を見ていた息子さんたちは、本人が治療を嫌がるならその意思を尊重して、家に連れて帰って、点滴などの治療をせずに自宅で自然に看取りたいとの意思を固めていました。退院の許可が出た途端、カズコさんは息子さんに今すぐ自分を家に連れて帰るように命じ、介護タクシーの手配も待たずに、冬の寒い日に自宅までの1Kmほどの道のりを息子さんが押す車椅子に乗って退院したのでした。

家に帰ったという連絡を受けて、私はすぐに初診に伺いました。カズコさんは「何も治療はしなくてもいい」と言われていたのですが、やはり酸素の低下が気になります。「呼吸がしんどい時にいつでも使えるようにしておくだけだから」と頼みこんで、なんとか在宅酸素濃縮器だけは置かせてもらえました。
点滴や医療的な処置をすべて拒否され、口から食べることもままならず、死を覚悟して自宅に戻られたカズコさんですが、急性期病院の看護師に「あの方、まだご存命なのですか!」と驚かれるほどに回復して、2年後に94歳でお亡くなりになりました。

これは高齢の慢性心不全の患者さんによくあることです。症状が悪化して入院すると高齢のために手術はせず、点滴による治療が行われます。しかし、それで体内の水分量が増えて心臓に負担をかけ、余計に悪化してしまうのです。このような状態で自然な看取りを希望されて退院すると、点滴を止めるので体が楽になって食欲も出てきます。カズコさんも自宅に戻って数日もすると少しずつ食べられるようになって、自宅で好きなものを食べたり飲んだりして過ごされていました。訪問診療時にカツカレーを美味しそうに食べているカズコさんをお見かけしたこともありました。
カズコさんが亡くなった後、息子さんは「最期まで母の望む在宅療養ができてよかった。最期まで苦しまずに過ごせたので、これが母の寿命だったのだと思う」と言われていました。慢性心不全という重篤な病気でも、何もしないことで楽に穏やかに最期まで生きられることもあるのです。

先日、90歳の母親を自宅で看取った60代の長女さんからお手紙をいただきました。そこには母を亡くした寂しさ、介護の日々への思い、スタッフへの感謝などが綴られていました。そして、点滴や医療処置の中止を決断できなかった自分の気持ちについても述べられていました。
訪問診療を始めた頃、母親のチヨさん(仮名)は廃用症候群のために身体機能が低下してはいても、柔らかめの食事は食べられ、家族の介助でトイレにも行けていました。しかし、2ヶ月後にひどい腹痛のために救急搬送されました。検査の結果、大腸に腫瘍が見つかり、それが原因でイレウス(腸閉塞)を起こしていたのでした。高齢のために手術は行わず、チューブを鼻腔から腸管に挿入して腸管内を減圧するイレウス管で経過を診ていくこととなりました。経口摂取も自力での排泄も困難になり、栄養は高カロリー輸液で、排泄は尿道カテーテルと紙オムツと、一気に寝たきりの状態になってしまいました。腫瘍はリンパ節にも転移しており、チヨさんは安定していた慢性期患者から一転して、がんの終末期患者となったのです。それでも、長女さんは自宅で母親を介護したいと、入院から3ヶ月後にイレウス管や高カロリー輸液、尿道カテーテルを装着したままでチヨさんを退院させることにしました。

しかし、1ヶ月もすると、チヨさんの体に浮腫が出てきました。主治医は浮腫は過剰な輸液によるものだと説明し、減量することでチヨさんが楽になると伝えたのですが、娘さんは決断ができませんでした。主治医はさらに、イレウス管や尿道カテーテルからの排液や排尿もほとんどなくなっていたので、それらの抜去も提案していたのですが、娘さんはそれも決断できずにいました。
お手紙には、イレウス管を入れていることで嘔吐の心配なく毎日を過ごせること、母親にミルクやみかんを口に入れてやれるという自分の気持ちを優先させたのかもしれないと書かれていました。また、点滴中止が決断できなかったことについて「母は最期まで『生きたい』と願っていたように思います。『死にたくない』と言ったこともありました。言葉にならない声で、手を伸ばす姿と目がそう訴えているように見えました。でも、いよいよという時、私が諦められず、また自分可愛さに点滴中止という選択を迷っていたら『あんたが辛い選択をしなくていいよ』とでも言うように、家族の決断より先におしっこを止めてしまった気がします」との苦悩が記されていました。そして、排尿がなくなった時に主治医が言ってくれた「今日は点滴をお休みにしませんか?必要なら、また明日しましょう」という言葉で、点滴を止めることができたと書かれていました。
体についたチューブをすべて外した日の夜、帰省した次女さんの還暦祝いの宴会をお母さんのそばで開いたそうです。長女さんの子どもや孫、次女さんのご家族など大勢で賑やかに過ごし、その時の家族写真には管のない、自然な姿のチヨさんがいたことを喜ばれていました。そして、その宴の片付けが終わった頃にチヨさんは静かに息を引き取ったのでした。手紙には「最期の数日、おそらくみなさまには母の限界はお分かりだったのだろうと思いますが、私の気持ちを推しはかり、寄り添っていただいてありがとうございました」とも書かれていました。

医療処置は一切するなと宣言して希望通りに生き切る患者もいれば、さまざまな思いから点滴中止を決断できないご家族もいます。でも、それで良いのです。看取りまでの道のりは人それぞれで正解はありません。亡くなった後に残されたご家族が、その死に納得できるプロセスを歩めるよう支援することこそが大事なのです。

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