たんぽぽコラム

おうちでの看取り

著者:永井康徳

  

第33回 本人への告知シリーズPart3「本人へどう告知するのか?」

今回は、本人への告知シリーズ第3回「本人へどう告知するのか?」というテーマです。告知されていない本人へ、実際にどのように告知するのかをお話ししたいと思います。
現在の日本の医療では、いまだに癌の人は半分以上の方がまともに告知されておらず、非癌の方も死に向き合いきれず、点滴や注入など亡くなる最期まで治す治療が残念ながら行われています。死への意識改革が必要ですが、医療者が向き合わなければ、国民や患者も向き合えません。では、どうすれば死に向き合えるのでしょうか?
実際に癌末期の40代の患者さんAさんが、病院医師から告知がされずに自宅に帰ってきて、告知をしたやりとりです。在宅では、初診の時でもこのようなお話をさせて頂きます。

「Aさん、これまで病気の治療をよく頑張ってこられましたね。最後に病院の先生から病気のことをどう言われましたか?」と私が問うと、Aさんは「もう抗癌剤は効かないと言われました」と答えました。「そうですか。つらいですね。これまで本当につらい治療をよく頑張ってこられたと思います」と私は言って、しばらくこれまでのAさんの人生や生活、Aさんが大切にしてきたことや想いなどをいろいろ伺いました。
そして、次のような話をしました。「ところで、Aさん。人はいつか必ず亡くなりますよね。Aさんもそうだし、私もそうです。ご家族もそうです。人は生まれたら必ず亡くなります」と。するとAさんは「そりゃあそうですよね」と言われたので、私は続けました。「そういう意味では、みな限られた命だと思うのです」と言うと、「その通りだと思います」と静かに肯定されました。

そこで私は、もう一歩踏み込んだ質問をしました。「Aさんはいつか亡くなるまで、これからどのように生きたいですか?楽な方がいいですか?それとも1分1秒でも長く生きたいですか」と聞いたところ、「そりゃあ、楽な方がいいです!」と即答されたのです。その言葉を聞いて私は「そうですか、わかりました。とことん楽にしていきましょう。約束します。そしてやりたいことをしていきましょう」「ところで、Aさんは、最期は病院がいいですか?自宅がいいですか?」と伺うと「自宅がいいです」ときっぱりと言われたのでした。

あとどれくらい生きられるのか(いわゆる予後)を具体的な期間を持って指し示す必要はありません。もう病気が治らないこと、そして、いつか亡くなること、限られた命であることを理解すればご本人は自然に死に向き合い、亡くなるまでどう生きようかと考えるようになると思うのです。告知しないということは、本人がどう生きるかを考えるチャンスを奪うことにもなると思うのです。死に向き合ってはじめて亡くなるまでどう生きるかを考えられるようになる方も多いです。亡くなる最期まで治し続ける医療が続いていたら、やりたいことも出てきません。一人一人にとって最善は違うと思いますが、死に向き合ってはじめて亡くなるまでどんな風に生きるか考えることができると思うのです。かわいそうだから、ショックを受けるからという優しさから、その機会が与えられずにいることが、果たして本当の意味で本人の幸せにつながるのでしょうか。

死と向き合うことは、本人にとっても家族にとってもつらいことですが、周りの者があれこれ推察するよりも、本人が望む「生き終え方」を、本人と話し合うことが大切ではないかと考えます。

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