たんぽぽコラム

おうちでの看取り

著者:永井康徳

  

第34回 終末期の意思決定支援 自分らしい最期とは?

「自分らしさ」とは何でしょう?「自分らしさ」は人から強要されるものではありませんが、だからと言って自分自身にもよくわからないものだったりします。ましてや、「自分らしい最期」となると皆目検討がつかないものでしょう。看取った患者さんの中で、「この人らしい最期だったな」と感じたケースから、「自分らしい最期」について考えてみたいと思います。

愛媛県の南西部、宇和海に面した人口 1200人の町にある、たんぽぽ俵津診療所の患者さんのお話です。
86歳のマコトさん(仮名)は、腰痛の物理療法のために毎日のように診療所に通っていました。実は物理療法が目的というよりは、地域の馴染みの人たちと顔を合わせるのが楽しみのようで、明るい人柄のマコトさんはみんなの人気者でした。高齢になっても車の運転を続けていて、危ないから運転免許は返納するように私が言っても、「運転できんなったらどこへも行けんなってつまらん。そんなんやったら生きててもしょうがない(運転ができなくなったら、どこにも行けない。そうなったら生きていても仕方がない)」と言って、聞く耳を持ちませんでした。外来受診時に病気の話をしても、「先生のええようにやっちゃんないや!(先生のいいようにしておくれ)」と言って、治療や検査はいつも私に「お任せ」の状態でした。

ある外来受診のときです。「先生、この前黒い便が出てな。しばらくしたら治ったんじゃけど何やったんやろな」と話されたので便の検査を行ったところ、出血が認められました。消化管の内視鏡をした方がいいと考え、病院受診を勧めたところ、「先生のええようにやっちゃんないや!」といつものように言われたのでした。

しばらくして、マコトさんの娘さんから診療所に連絡がありました。「病院の検査で、父に進行胃がんが見つかりました。リンパ節に転移していて、手術をして、抗がん剤治療をしなければいけないと病院の先生には言われているのですが、父は手術はせん(手術はしない)。もう病院には行かんと言って聞かないんです」と困り果てていたので、翌日、娘さんと一緒に、マコトさんに外来に来てもらうことにしました。
外来でマコトさんは、「病院で胃がんやから胃を切らないかんと言われたが、わしは切りたくないぞといったんや。もう86やから、手術はせん」とはっきり意思表示をされたのです。
私は、内視鏡の所見や画像を見ながら「これが胃がんですよ」と病状を説明する一方で「いつかはみんな亡くなります。どんな最期を迎えるかは自分で決めていいんですよ。手術や抗ガン剤治療を受けて、最期まで戦う医療を受ける選択もあれば、最期は自然に楽に迎える選択もあります。マコトさんはどちらがいいですか?」と尋ねました。マコトさんはすぐさま、「わしは何もせずに楽な方がいい。先生、楽に逝かしてくれるかな」と言われたのです。「身体を楽にすることは精一杯しますし、自宅でも病院以上にできますよ」と答えながらも、いつも医師任せにして病気を直視してこなかったマコトさんが、きっぱりと自分の最期を決断したことに内心では驚いていました。そして、マコトさんは高齢の奥さんとの二人暮らしで、介護には不安がありましたが、娘さんや息子さんも協力して自宅で看ていくこととなりました。

その後、マコトさんは幸いにも痛みが少なく、3ヶ月ほど自宅で落ち着いて穏やかな時間を過ごすことができました。訪問診療を提案していたのですが、マコトさんは最後まで外来通院にこだわり、待合室で住民たちと話をするのを楽しみに診療所にやってきていました。これもマコトさんらしいことだと思いました。
訪問診療も始めたのですが、なんと亡くなる1週間前のことでした。最後の数日は食べられなくなりましたが点滴をほぼすることなく、自宅で穏やかに息を引き取られました。亡くなる3日ほど前から、マコトさんの家に娘さんや息子さん、お孫さんやひ孫さんまでもが大勢集まって最後のお見送りもできました。

マコトさんが亡くなってから1週間後、残されたご家族の様子が気になったのでご自宅にお伺いすると、遺影に明るい笑顔のマコトさんの顔がありました。亡くなる2週間前にデイサービスで撮ってもらった写真なのだそうですが、これは最期までいい状態で過ごせた証でしょう。遺影を前にして、ご家族と元気な頃のマコトさんの話をしましたが、皆、いい笑顔で始終笑いに包まれて、明るかったマコトさんらしい雰囲気でした。そして、奥さんと息子さんから「自宅で見送ってやれて本当に良かった」と何度も感謝されました。
「先生のええようにやっちゃんないや!」といつも私に決断を丸投げしてきたマコトさんでしたが、死に向き合った時には自分で自分の最期を決断しました。本人が思う通りの最期を迎えられれば、家族にも後悔はないものなのです。

私たちは、患者さんの意思決定をサポートするときに一人一人最善が違うことをしっかりと理解しておかなければなりません。その人にとっての最善の選択といっても、自分でしっかりと希望を表明できる人もいれば、家族の意向や医師の意見に従いたいと思う人もいるでしょう。しかし、いつもは医師に治療や検査の選択を任せていたマコトさんが、死に向き合った時には残りの人生の過ごし方を自分で決断されたように、患者さんがどのような時期にどのような形で意思や希望を表明するかは誰にも、もしかすると本人にすらわからないものです。

結局のところ、亡くなった後に「ああ、あの人らしい最期だったな」と見送った家族が納得できるのは、「本人が望むような選択をしてあげられた」と思えることだと思います。患者本人が自分の意思や選択を表明できるように、そして、その意思や選択が実現できるように支援することが「その人らしい最期」につながっていくのだと思います。

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