著者:永井康徳
おかげさまでYouTube『たんぽぽ先生の在宅医療チャンネル』がチャンネル登録者6000人を達成いたしました。
これまで支えてくださった皆様、本当にありがとうございます。
今回は6000人記念として、在宅医療関係者、病院の医療者、そして一般の方々に最も伝えたい大切なメッセージをお届けします。それは「人生の最期まで、その人らしく生きる」ということです。
流れ作業の看取りでいいのか?
皆さんに質問です。
もしあなたの大切な人が人生の最期を迎えるとき、「ただ看取るだけ」で本当にいいでしょうか?
患者さんにとって、そしてご家族にとって、人生の最期はたった一度きりの大切な時間です。
現在、7割の人が病院で亡くなります。食べられなくなると点滴を続け、痰を吸引し、最後まで医療処置を受けながら絶食で亡くなっていく。これが現実です。
でも、本当にそれでいいのでしょうか?
私たちの使命は、一人ひとりの患者さんが「これでよかった」と心から納得できる質の高い看取りを提供することだと信じています。
今回は、その象徴的なエピソードをお話しします。これは私の価値観を大きく変えた、忘れられない症例です。
91歳Aさんの物語
Aさんは認知症があり、誤嚥性肺炎で入院されていました。口から食事はできず、点滴で栄養補給。意思疎通も難しく、点滴のチューブを抜かないよう両手にミトンをはめられ、身体を拘束されている状態でした。
急性期病院での治療が一段落し、私たちの有床診療所に移ってこられました。
初めてAさんとお会いしたとき、私の胸は痛みました。拘束されたベッドの上で、まるで物のように扱われている姿を見て、「これが人間らしい最期なのか?」と自問したでのす。
私たちは88歳になる妹さんに率直に尋ねました。
「このまま点滴をして、縛られた状態でいいですか?」
妹さんは涙を流しながら、震える声でこうおっしゃったのです。
「兄は十分に生きてきました。人間らしい最期を迎えさせてやりたい。点滴したり、縛ったりしないでください」
この言葉の重みを受け止め、私たちはこうお答えしました。
「わかりました。では点滴を抜きましょう。食べるための取り組みは全力でしますが、もし食べられなければ、穏やかな看取りになります」
ご家族の同意を得て、私たちは勇気を持って点滴を抜きました。
奇跡が起きた翌日
そして翌日、信じられないことが起こります。
朝、看護師から慌てたような声で電話がありました。
「先生、Aさんが大声を出しています!すぐ来てください!」
何事かと駆けつけると、そこには昨日とは別人のようなAさんがいました。
大声でこう叫んでいたんです。
「お腹すいた!なんか食べさせろ!わしを殺す気か!」
私は驚きました。昨日まで意思疎通も困難だった方が、こんなに力強い声で訴えている。
「何が欲しいですか?」と聞くと、返ってきた言葉は…
「サイダー!サイダー飲ませろ!」
この瞬間、私は確信しました。
「この人は、絶対に食べられる」と。
驚きの回復
サイダーを渡すと、Aさんは美味しそうにゴクゴクと飲み干しました。その表情は、まさに生きる喜びに満ちていました。
その後の回復は目覚ましいものでした。
・1週間後:ムース食を全量一人で完食
・3週間後:元気に自宅へ退院
私たちがしたことは特別な「治療」ではありません。ただ、点滴を抜いただけです。
この経験から、私はある法則に気づきました。私が勝手に名付けた「永井の法則」です。
「食べたいものを大きな声で言える人は、食べられる」
実は、食欲がない、食べられない方の多くに共通点があります。それは人工栄養を受けていることです。
点滴を500ml するだけでも、本来の食欲は削がれてしまいます。満腹感で食べたい気持ちが失われた状態で嚥下機能の検査をしても、「食べられない」という結果になるのは当然なのです。
「医療を最小限にすれば、亡くなるまで食べられる!」
これが私たちの考えです。
多職種連携の真髄
Aさんが退院する日、私たちは最後の質問をしました。
「ご褒美に何が食べたいですか?」
答えは期待通り、いや、期待以上でした。
「寿司とビールじゃ」
その瞬間、私たちスタッフの目に輝きが宿りました。「よし、やってやろう!」と。
その日のために、私たちは病棟にAさんだけのためのお寿司屋さんを開店しました。ネタもシャリも、口に入れると溶けるように工夫した「たんぽぽ寿司」の完成です。
Aさんが「うまい!」と言いながら寿司を頬張る姿を見て、妹さんは嬉し涙を流されました。「こんな兄の顔、久しぶりに見ました」と。
こうした「最期まで食べる」支援は、医師だけでは絶対にできません。
・本人の「食べたい」気持ちを引き出す看護師
・安全に食べられる方法を考える言語聴覚士
・栄養バランスと美しさを両立させる管理栄養士
・愛情込めて調理する調理師
まさに、究極の多職種連携です。一人ひとりの専門性が結集した時、奇跡が生まれるのです。
本当の価値とは何か
よく言われます。
「そんなことをして、診療報酬は取れるのか?」
でも、考えてみてください。
患者さんとご家族が涙を流して喜んでくださり、それを見た職員のモチベーションが上がる。チーム全体が「この仕事に誇りを持てる」と感じられる。
これ以上に価値のあることがあるでしょうか?
リスクを考えて「ダメだ」と禁止するのは簡単です。しかし、患者さんの「やりたい」という気持ちを「これでいいのだ」と肯定し、実現するためにチームで知恵を絞ることこそ、在宅医療の醍醐味だと私は確信しています。
医療は「生命を延ばすためだけ」のものではありません。「その人らしい人生を支える」ためのものでもあるのです。
あなたへのメッセージ
最後に、皆さんにお伝えしたいことがあります。
◇在宅医療関係者の方へ
患者さんの「無理かも」を「やってみよう」に変える勇気を持ちましょう。
◇病院で働く医療者の方へ
点滴や胃ろうを始める前に、一度立ち止まって考えてみてください。
◇一般の方々へ
あなたの大切な人が医療を受ける時、「その人らしさ」を大切にしてくれる医療者を選んでください。
人生の最期まで、「その人らしく」生きられる医療。それを実現するのは、私たち一人ひとりの意識と行動なのです。
今回のお話は、在宅医療に携わる皆さん、そして医療を受けられる可能性のあるすべての方に、ぜひ深く考えていただきたいテーマです。
Aさんの物語が、皆さんの心に少しでも響いてくれたなら嬉しいです。