たんぽぽコラム

在宅医療の質を高める

著者:永井康徳

  

第7回 私の在宅医療の原点

私は医学部2年生の時、温泉郡中島町の二神島を研修で訪れ、住民健診や労働体験をしたことがあります。地区公民館で健診中、島の保健師さんがこう言いました。「どんなに誘いに行っても、どうしても健診に来ない方がおるんよ。もう20年近くも家から出ていないかもしれん。足腰も弱って、血圧も高そうやから、何とかして健診に連れてきたいんやけど…」。私と同級生I君とY君の3人で早速そのおばあさんの家へ向かいました。
数日間通い続けるうちに、おばあさんは次第に心を開いてくれたのですが、なかなか健診行きを承諾しません。健診最終日の夕方、私たちが「もう今日で健診は最後です。行きましょうよ!」と熱心に声をかけると、おばあさんはついに「うん」と言ってくれました。大喜びの私たち医学生3人は、おばあさんを代わるがわるおんぶしながら公民館へ急ぎました。20年ぶりに外へ出たおばあさんは、周りの景色の変わり様にとても驚いていました。
健診では高血圧の他、いくつかの病気が見つかりました。今の私なら、健診に行きたがらない人にはその意思を尊重するかもしれません。しかし、当時の若い私たちは、健診に連れてきたことを保健師や先輩から褒められ、有頂天になったのを覚えています。「病院に通えない人がいれば、その人のためにできる形で対応していく」という私の在宅医療の原点は、ここから始まったのかもしれません。

医学部を卒業して病院での勤務後、私はへき地医療に使命感と魅力を感じ、国保俵津診療所で仕事を始めました。3年くらい経つと、地域を歩いている人を見れば、その人の家族、親戚まで思い浮かぶようになりました。子どもからお年寄りまで、地域をまるごと診るのがへき地医療の醍醐味であり、地域医療が目指すべき姿ではないかと考えています。

当時、私と一緒に二神島でおばあさんをおんぶして健診に連れて行った私の友人の一人のI君は、医師になってからずっと急性期病院の集中治療室で救急医療に従事し、懸命に患者の命を救うことを担いましたが、若くして2019年に永眠されました。志を同じくして医療に向き合った彼のことを思うと残念でなりません。もう一人のY君は、当院での勤務後、大分県佐伯市で私と同じく在宅医療専門クリニックを2020年に開業しました。
在宅医療の原点であるこの時の経験は、私たち3人それぞれの心の中に住みついて、患者に寄り添い、本人にとっての最善を追求する医療を目指すことにおいて、私たちそれぞれに大きな影響を与えてくれたと思っています。

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