たんぽぽコラム

在宅医療の質を高める

著者:永井康徳

  

第8回 桜とみかんの野副峠~へき地診療所への道~

私は普段は松山市で患者さんの訪問診療をしていますが、毎週木曜日は、西予市明浜町にある「たんぽぽ俵津診療所」に出向き、診療を行っています。
診療所のある俵津地区は、宇和海に面した人口1,100人の町です。この町には松山から宇和で高速を降り、野福峠という峠を越えて向かいます。桜の季節には、峠から見渡す絶景に魅せられ、多くの花見客がここを訪れます。明るい南国の日差し、沿道に咲き誇る桜の淡く透き通るようなピンク色、山の斜面に広がるみかん畑の輝くような緑、その向こうには光をいっぱい浴びた海の青、そのコントラストが実に美しい。穏やかな入り江には真珠養殖の筏がみえます。いつ通っても、何度通っても、この野副峠からの風景に私は心癒されます。私の大好きな場所であり、俵津住民の自慢の名所でもあります。

1996年にへき地医療を志していた私は、29歳の若さで当時明浜町国民健康保険俵津診療所に所長として赴任しました。ここは、私の人生において在宅医療の原点となった場所です。2010年、その俵津診療所は市町村合併のあおりを受け、毎年3,000万円の赤字を出し、廃止となることが決まりました。私が松山市に「たんぽぽクリニック」を開業するために俵津診療所を去り、10年が経った頃のことでした。俵津地区は人口減少と高齢化が進み、町の活気が急激に失われつつありました。
俵津地区に診療所がなくなれば、町に住むお年寄りは通院のために隣町まで行かなければならず、安心してこの町に住み続けることができなくなります。町はますます過疎化が進むことでしょう。地区唯一の診療所がなくなることは、地域の存続にもかかわる大きな問題なのです。

そのような状況の中、ある日松山の私のもとを、俵津地区の住民の方が訪ねてきました。箱いっぱいのみかんを抱えた男性は、「先生、診療所がなくなってしまう。何とかしてくんなはい!」と俵津診療所を守りたい気持ちを懸命に訴えられました。町の窮地に私のことを思い出してくれたことがとてもうれしく、若くして赴任した私を育ててくれた地域の方々へ恩返しをしたい気持ちもあり、なんとかこの診療所を運営できないかと私は考え始めました。
私の瞼には次々と、若い自分を見守ってくれた俵津住民の皆さんの顔と、野福峠の景色が思い浮かびました。このことが、私が創り上げてきた在宅医療クリニックのノウハウを駆使し、へき地診療所の窮地を新システムで解決する「俵津プロジェクト」の幕開けとなったのです。

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