たんぽぽコラム

在宅医療の質を高める

著者:永井康徳

  

第11回 余命1週間からの復活 ~たんぽぽ寿司~

88才の妹さんと二人で暮らす91才の男性サトシさん(仮名)は、認知症を患っていましたが、身の回りのことは何とか自分でできていました。
ある日、息をするのがつらくなり、病院を受診したところ誤嚥性肺炎をおこしており、そのまま入院となりました。口から食事をすると肺炎がまた悪化する恐れがあることから、絶飲食となり、持続点滴が開始され、薬は経鼻胃管チューブ(栄養注入や服薬のため、鼻から胃に挿入するチューブ)からの注入となりました。肺炎予防のための痰の吸引も頻回に行われました。サトシさんは、吸引の苦しさに抵抗したり点滴を抜こうとするため、両手にはミトンを付けられていました。その後、入院1ヵ月ほどで状態は良くなるどころか悪化し、「あと1週間くらいの命」と宣告を受けたのです。高齢で認知症、肺炎の患者さんはたいていこのような経過をたどります。多くの方は、「このまま最後まで病院で治療を受け続ける以外の選択肢があるのか?」と思うかもしれません。

しかし、サトシさんの人生はここでは終わりませんでした。余命1週間と言われてから1ヵ月後に迎えたお正月、サトシさんは好物のお寿司を自分で食べ、大きなグラスでビールを堪能し、「最高じゃ!」とつぶやいていたのです。サトシさんをここまで回復させたものは一体何だったのでしょう?

余命1週間といわれたサトシさんは、最期を迎える覚悟で当院に転院してきました。私がサトシさんの妹さんや担当ケアマネジャーと今後の方針について話し合ったとき、妹さんは「もう十分生きてきたのだから、人間らしい最期を迎えさせてやりたい」との意向を示されました。
そこで、点滴も経鼻胃管チューブも抜き、食べられる分だけ口から食べて自然に看取るという方針でサトシさんを看ていくことになりました。点滴を止めると痰が減り、吸引の必要はなくなりました。チューブ類はすべて外したので、ミトンを付ける必要もなくなり、暴れる原因もなくなりました。医療処置をやめて、身体拘束からも解放されたのです。

少しでも口から味わう楽しみを持ってもらおうと、サトシさんの摂食嚥下機能訓練が始まりました。言語聴覚士による訓練だけでなく、口の中を清潔に保つ口腔ケアにも力を入れました。最初はとろみを付けて飲みやすくしたお茶を飲むことから始め、その日の体調に合わせ、少しずつ食べる量を増やしていきました。入院して1週間後には、自らお箸やスプーンを持ち、食事を全量食べられるまでになったのです。 余命1週間と宣告されて当院に転院後、わずか1週間で自ら食事ができるようになったサトシさん。「退院のお祝いに何が食べたいですか?」との質問に、「寿司が食べたい!」と元気に答えました。

そこで、当院調理室クックラボの板前が腕を振るい、寿司をお出しすることにしました。寿司ネタは当日仕入れた新鮮なマグロや鯛にサーモン。サトシさんが食べやすいように、ネタも寿司飯もなめらかなムース状にして作ります。それらを桶に並べ、サトシさんの目の前で板前が握るという本格的な「たんぽぽ寿司」を病床の食堂に開店したのです。サトシさんは、「マグロはないんかな?」と食べたい寿司を注文し、「クーーッ!」とうなるように首を左右に振りながら、大きなグラスでビールを飲み干しました。「夢を見てるような」と言ってサトシさんは喜びました。

退院後自宅にもどってからは、ムース食の宅配弁当をとり、介助なしで自分で全部食べることができたそうです。もし、サトシさんが点滴やチューブをしたまま病院のベッドで過ごしていたら、宣告通り1週間後に亡くなっていたかもしれません。サトシさんが復活できたのは、妹さんがサトシさんの死を受け入れ、点滴をやめて自然に看ることで、食欲が湧いてきたこと。そして、終末期であっても、口から食べる支援をあきらめなかったことにあります。

終末期をどう過ごすのか、その選択肢を示すのは医師の役割です。患者さんがどのような最期を望むのかを考えず、医療による延命だけを考えていては、患者さんも家族も延命以外の選択肢を選べません。だからと言って、何もしない医療を選べというのではありません。「延命をせずに、食べられるだけ食べて、自然に看ていくこと」と、「もうすぐ亡くなるから何もしないこと」とは、まったく別なのです。人生最期の時は絶食でいいのでしょうか? 本人には食べる権利があるはずです。死に向き合って、どんな最期を迎えたいかと考えた時、本人が望む選択肢がみえてくるのではないでしょうか?

医療は人の命を救うもので、医療従事者は、病気やけがを治すことを第一に考えます。しかし、日本は超高齢社会になってもなお、治療すること、生きながらえることを優先し、人としての尊厳が後回しになっているように感じることがあります。「終末期であっても口から食べる取り組みをする」ことは、今後、日本人の看取り文化や生き方の価値観を変えていくのではと私は考えているのです。

現代ではまだまだ、終末期の高齢者が食べられなくなると点滴をして、吸引や拘束を繰り返し、絶食で亡くなる事例が多いと思います。末梢からの輸液を1,000mlもすると、高齢者は食べる意欲がなくなってしまうことに気付いてほしいです。点滴をやめることで食欲が沸き、少しずつ食べられる可能性が出てくるのです。サトシさんにわたしがした事は、点滴をやめたことだけです。それからは、多職種のチームが一丸となって食支援をしてくれました。
いつか亡くなる時、本人がどういう最期を迎えたいのかを考えることが大切なのです。

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