たんぽぽコラム

在宅医療の質を高める

著者:永井康徳

  

第12回 誘拐犯の名前は・・・

二人暮らしの認知症のご夫婦のお宅に、訪問診療に伺った時のことです。家に入ると、90歳のご主人が机に顔を突っ伏して、しんどそうに座っていました。様子を聞くと食事も取れていないようです。奥さんを探したのですが、家の中には見当たりません。
何とかしなければと娘さんに連絡を取り、了承を得て、当院の病床である「たんぽぽのおうち」に入院するため、私の診療車でご主人をお連れしました。

認知症の高齢夫婦だけで暮らすのは、異常事態に気付くのが遅れ、危険が伴うことが少なくありません。ご主人は何度も転倒を繰り返し、圧迫骨折や大腿骨骨折で十分に動けない状態でした。しかし、認知症の奥さんは、「じっと座っていてはいかん。歩け歩け!」と本人をせかします。ご夫婦とも怪我のリスクがあるのですが、娘さんの定期的な訪問と在宅サービスで、なんとかこれまでの生活が成り立ってきたのです。
この状況を見て、何かあったらどうするんだろう?と思われる方もいるでしょう。しかし、「なんとか住み慣れた自宅で過ごしたい」というご夫婦二人の強い気持ちが、これまでこの生活を維持する原動力になっていたのだと思います。このような二人の思いを尊重しながら自宅で暮らせるように支援するのも「在宅医療」なのです。何かあったら今回のような入院対応もします。様々なケースに対応できるように、患者さんやご家族としっかり話し合っているのです。

さて、たんぽぽのおうちに入院したご主人ですが、点滴をしてベッドで休んでいるうちに楽になったのか、スヤスヤとよく眠っていました。そして、目覚めた時に「ここはどこじゃ!?なんでこんなところにいるんじゃ。ふむ、わしは計画的に誘拐されたようじゃな。犯人の名前は、ナ・ガ・イ・・・」と看護師に言ったそうです。いつの間にか主治医の私は「誘拐犯」になってしまいました。ご主人が目覚めた時、自分がなぜここにいるのか、すぐには分からなかったのでしょう。「誘拐された」というユニークな発想と、「ナガイ」がその首謀者であると気付いていた時の様子を聞いて、私は「誘拐犯」になったことをむしろ嬉しく感じました。

その後、ご主人は身体的にも精神的にも落ち着き、穏やかに過ごされていましたが、ご家族との話し合いの結果、今後二人だけで家で暮らすのは難しいということになり、施設へ入所することになりました。ご主人が大好きな海を見渡せる眺めの良い部屋がある施設を、娘さんが探してきてくれたのです。今度、当院から施設へ移動する時もまた、私が誘拐犯になるのかもしれませんね。

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