たんぽぽコラム

在宅医療の質を高める

著者:永井康徳

  

第14回 誰のための医療なのか?

2011年の東日本大震災で災害支援をした時の話です。
私は被災10日後に宮城県気仙沼市に入り、避難生活の中、通院できない高齢者のご家庭を巡回していました。寝たきりで悪化した床ずれ(褥瘡)を治療するプロジェクトの立ち上げに関わっていたのです。そのプロジェクトには、在宅医療のプロフェッショナルや褥瘡治療の専門家が全国から集まっていました。被災後間もなく何の情報もない中、自宅を一軒一軒訪問して対象患者を探し出し褥瘡治療にあたりました。私たちは当時、在宅医療がまだ普及していない気仙沼市に、訪問診療の真骨頂を提供しているのだという自負を抱き活動していました。在宅医療の特徴を活かしたこの支援は、当時としては画期的でマスコミや他の被災地からも注目されました。

しかしながら、支援を開始してしばらく経つと患者さんやご家族からクレームが出始めたのです。それは、「来る人が変わるたびに褥瘡の処置が変わる。ひどい時には毎回違う人が来て、毎回違う処置をして帰る」というものでした。プロジェクトに参加している医師や看護師たちは、この支援のために仕事を休み、交通・宿泊費も自費でまかなうような志の高い人たちです。

にもかかわらず、なぜこのようなクレームが出たのでしょう? 原因は、「自分が持っている最善の医療を患者さんに提供して帰りたい」という専門家のこだわりが強く出てしまい、プロジェクト本来の目的を見失ってしまったからだと私は思います。「褥瘡を治す」ことがこのプロジェクトの目的ではありますが、最優先すべきは「被災者のためになること」なのです。

私はこの問題を解決するために、褥瘡の処置をする際には、前回と同じ処置をするようにチームの医療者にお願いしました。処置を変える必要がある時でも一旦保留とし、全体ミーティングで報告してから方針を決定することにしました。このように、多職種チームが同じ方向性を確認することで、患者さんたちのクレームも徐々に少なくなっていきました。

誰のために行う活動なのか? 誰のための医療なのか?この大前提を見失うと、専門家の集団は自分の専門性を発揮することだけに終始してしまい、かえって被支援者の迷惑になることさえあるのだと思い知りま した。 被災地で求められることは、被災した患者さん・ご家族が少しでも平穏に療養生活を送ること、納得のいく最期を迎えられることです。その支援手段として、全国から集まった志のある多職種が一つのチームとなり、患者さん・ご家族の物心両面をサポートするのです。それからというもの、私たちプロジェクトチームは、医師も紙おむつを一緒に配りながら被災者の目線に立てるよう意識して訪問を続けました。

現在の私たちの業務においても同様のことが言えます。「チームとして協働するためにケアマネジャーはもっと医療に精通すべきだ」とか、「薬剤師も訪問時に患者さんのバイタルを測るようにすべきだ」という話を耳にすることが多くなりました。

しかし、「誰のために」ケアマネジャーには医療知識が必要で、「誰のために」薬剤師がバイタルを測るのでしょう?患者さんや家族の要望でしょうか?実はそうではなく、「医療従事者と共通言語で話し、より医療サイドにいてほしい。医療従事者側の視点で スムーズに物事を進めてほしい」と考える専門職の願望の表れではないでしょうか?ケアマネジャーは医師や看護師側に近づくよりも、患者さんに寄り添って気持ちや状況をよく理解し、ケアマネジメントのプロとして患者さんと医療従事者をつなぐ架け橋となることが大切です。 また、在宅患者さんの多くは厳しい病状や老衰のため、薬剤を使って改善できることは限られています。薬さえ投与できないような終末期において、薬剤師はどのような関わり方ができるのか……?医療の限界を理解した上で、自分の専門性をどう発揮して患者さんに関わっていくのかということは、どの専門職にも問われることです。

ただし、最も重要なことは患者さん本人が満足する療養生活を送ること、 納得のいく最期を迎えることであって、専門職が専門性のみを発揮することではありません。職種や職能にこだわるのではなく、全職種がチームとして一体感を持ち、患者さんやご家族をサポートしていくことが在宅医療で真に求められる資質なのです。

現在も私は、在宅での療養生活を支援するにあたり、患者さんの症状緩和や生きがい、ご家族の心身の状態にも配慮した支援ができているかと自問自答を繰り返しています。私たちは医療を施すことを優先するのではなく、「患者さん・ご家族が幸せに暮らせているのか」という基本的な視点を忘れることなく関わり続けたいと思っています。

関連動画 誰のための医療なのか?