たんぽぽコラム

在宅医療の質を高める

著者:永井康徳

  

第28回 食べることは、生きること

経口摂取できない状態で退院することは、患者さんご本人はもちろん、ご家族にとっても大きな不安を抱えることになります。
今回は、摂食禁忌でありながら退院された患者さんを支えたご家族の対応と、それをサポートした周囲の医療スタッフの活動をご紹介します。
橋田亮介さん(仮名)という84歳の男性患者さんのお話です。
認知症が進行した橋田さんは言葉を発することはできませんでしたが、相手の話すことは理解していました。また、生活全般において全介助を必要としていましたが、食べることは大好きで、食事は全介助でありながらも、きざみ食か場合によっては普通食でも食べていました。
私は初診の時に、その方が終末期でなくても「最期はどうされたいか」というご本人やご家族の意思をできるだけ伺うようにしています。亡くなる間際という切羽詰まった時期でないからこそ、こちらも尋ねられるし、相手も余裕をもって考えられると思うのです。「初めての患者さんには、伺うようにしているんですよ」と伝えれば、皆さん納得されて、看取りの場所や延命治療についての考えを教えてくださいます。橋田さんのご家族にも初診のときに伺ったところ、「延命治療はしない」とのお考えでした。

訪問診療を開始して3ヶ月が経とうとするころ、橋田さんはショートステイ中に体調を崩され、入院することになりました。入院されて2週間後に、橋田さんの担当ケアマネジャーから連絡がありました。「ご家族が胃ろうについて相談したいと言っている」とのことでしたので、私は急遽、当院でカンファレンスを開くことにしました。参加者は当院スタッフ以外に、橋田さんの奥様と娘さん、ケアマネジャーです。
ご家族より入院中の橋田さんの様子を伺うと、病院では経口摂取はせず24時間点滴をしているとのことでした。ご家族には、病院の主治医から今後、胃ろうを造設するか、IVH等を選択するかとの提案があったそうです。以前、私から胃ろうの話を聞いていたけれど、もう一度、在宅での胃ろう栄養について話を聞きたいとのことでした。

ご家族は、橋田さんが食べられない状態のまま退院し、家に戻ってくることにとても不安を感じていました。そして、病院を転々としながら点滴を続けることはできないのかという思いと、話もできないような状態で生かしているのは、本人にとって苦痛ではないのかという、相反する思いで揺れ動いたのです。そこで私は、今の医療制度上、入院してずっと点滴を続けるのは難しいこと、自宅でも一時的に期間を区切って少量の輸液を行うことは可能であること、胃ろう栄養という選択もあるし、胃ろうをせずに食べられるだけ口から食べて、自然に看るという選択肢もあることを説明しました。ご家族は自然に看る方法もあることを知り、心を動かされたようでしたが、私は今回参加できなかった息子さんとも相談されるよう勧めて、その日のカンファレンスを終了しました。

それから半月後、橋田さんの退院に向けてのカンファレンスが入院先の病院でありました。
病院の主治医より、「誤嚥性肺炎があり、電解質異常などが原因で意識レベルが低下していたが、加療により状態は改善したものの意思疎通は困難。もともと嚥下機能は低下していたようだが、肺炎改善後も嚥下は困難で、現在は経口投与はなし」との報告がありました。そのカンファレンスの席で橋田さんの奥さんは、高カロリー輸液はせず、胃ろうも造らず、点滴は減らして家で自然に看取りたいとの家族の意思を伝えました。家族で話し合って、悩み抜いて「もう、迷わん!」と決めたのだそうです。口をもごもごさせている橋田さんを不憫に思い、家に帰ったら、何か食べさせてあげたいと考えていることも話されました。

カンファレンスの後に橋田さんの病室に伺ったのですが、呼びかけても反応がなく、私も口から食べることは難しいのではないかと考えたのですが、ご家族の願いに応えたいという気持ちが在宅スタッフ側に強くあり、経口摂取ができる方法を次のように考えてみました。

・退院当日に自宅に訪問看護師、医師、ホームヘルパーが伺い、自宅での療養がスムーズに移行できるよう援助を行うこと
・当面は毎日訪問看護が入り、最低2週間は点滴500mlで様子をみながら経口摂取にも取り組むこと
・奥さんの介護負担を減らすためにヘルパーにも毎日30分入ってもらい、週に2回はデイサービスに通ってもらうこと です。

そして、退院当日。橋田さんは家に帰ってきたことがわかったのでしょう。入院中は呼びかけても反応がなかったのに、しっかり覚醒されてベッドの上でよく動かれていました。それだけでなく、なんととろみをつけたリンゴジュースをスプーンで口に運ぶと、もぐもぐと咀嚼して上手に飲み込んでいるのです。奥さんは「ほらね、食べられるでしょ」といった感じでしたが、医療スタッフ側はその姿に衝撃を受けていました。「家」がこれほど患者さんを元気にするのだということを、私も今さらながらに再認識した思いでした。

しかし、口から食べられて、飲み込めたからこれでよし、というわけにはいきません。誤嚥や肺炎、脱水のリスクが高いため、食事や水分の摂取量、排尿・排便量、痰吸引の回数や痰の色まで、訪問看護や診療でチェックし、橋田さんの療養生活を見守っていました。そして、ご家族には食事介助について一口の摂取量や摂取のスピード、飲み込んだことを確認すること、覚醒していないときは食べさせないことなどをお話しし、訪問歯科の歯科衛生士にも入ってもらい口腔ケアや嚥下機能を確認してもらうことなども提案しました。さらに奥さんには、気管内の痰をきちんと取れるように訪問看護師から吸引指導も受けてもらいました。
とはいえ、その後も何度か橋田さんは誤嚥性肺炎になり、入院されることもありましたが、状況が変わる度に私は「今は胃ろうをしないという選択をしているけれども、胃ろうを造るという選択をしてもいいんですよ」というお話をご家族にしました。そして、私たちもご家族と一緒になって、橋田さんの最期をどこでどのように過ごしてもらうのかを考えました。

私たちがかかわり始めて1年が過ぎた頃に、橋田さんは自宅で静かに息を引き取りました。ご焼香に伺ったときにご家族は、「療養中たくさん悩んで、今でもあの時ああしていればと思うこともあるけど、自宅で見送れたことに満足しています」とおっしゃっていました。最後の夜も、桃のゼリーを美味しそうによく食べていたそうです。

病気があっても、障害があっても、その人らしく生きていく。その人生を支える医療が在宅医療です。本人が食べたいと言うなら、危険だからと禁止するのではなく、「どうすればできるのか」を多職種で考え、支えていきます。

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