たんぽぽコラム

在宅医療の質を高める

著者:永井康徳

  

第34回 経験は未来へとつながっていくから、今を大切に生きよう

アップル社の創業者スティーブ・ジョブズ氏が、2005年のスタンフォード大学の卒業式で行った伝説のスピーチの中の「コネクティング・ザ・ドッツ」(経験はつながっていく)という言葉を、私は常に心に留めています。

私は医家の生まれではありません。そのためなのか、なぜ医者になろうと思ったのかとよく聞かれますが、「毎日同じことを繰り返す仕事はしたくなかったから」という漠然とした理由しかありません。私の通った高校から医学部に進学する人が多く、医師という仕事は常に意識する仕事の一つでした。医師は人間を相手にしますし、日々進化する医学を生涯に渡り勉強しながら仕事をしてくというところに魅力を感じたのかもしれません。

医学部1年生の夏休みに、私は愛媛県南予地方の無医地区に研修に行きました。現地に1週間泊り込んで検診や労働体験、救急医療のアンケート調査などを行ったのですが、そこで分かったのは無医地区では、やはり医師を切望しているということでした。これがきっかけとなって、卒業後はへき地医療の道に進もうと決心しました。当時は専門医全盛の時代でしたが、自分は専門医になるのではなく、他の人が行かないところに行き、より自分を必要としてくれる場所で働きたいと考えたのです。

自治医科大学での研修後、念願が叶って29歳で、愛媛県西南部に位置する明浜町俵津地区(当時)にある国保俵津診療所へ所長として赴任しました。住民1,800人の地域に1つしかない診療所で、子どもからお年寄りまで地域をまるごと診る医療を経験することができました。そして、通院できない人のために訪問診療を手探りではじめたことで在宅医療に魅せられ、生まれ故郷の松山市で愛媛県内初となる在宅医療専門クリニックを開業することになったのです。

しかし、私の後任として俵津診療所に赴任した医師は往診をしない方針であったため、それまで地域で亡くなる人のほぼ3分の1を自宅で看取っていたにもかかわらず、私が辞めて以降は自宅で亡くなる人は0になってしまいました。このことがあって、開業した在宅医療専門クリニックでは、もし自分がいなくなっても高品質の在宅医療を提供できる仕組みを作ろうと思ったのです。開業時から複数医師体制で当番を担当する仕組みを模索し続け、開業5年後には4人1ユニットで夜間や休日の当番を担当するシステムを構築。これにより医療スタッフが疲弊することなく、24時間365日、高品質の在宅医療を提供できるようになりました。

開業して10年が経った頃、西予市立となった俵津診療所が累積する赤字のために閉鎖されることが決まりました。そんな中、俵津住民の一人がわざわざ松山までやってきてこう言われたのです。「地域で唯一の診療所がなくなる。先生、なんとかしてほしい」と。私は、医師として私を育ててくれた俵津地区に恩返しがしたいと思いました。そこで、診療所を存続させる手段として、ゆうの森で運営できないかと考えたのですが、その際に4人1ユニットで当番を担当するシステムが役立ったのです。

引き継いだ診療所では、午前中は外来診療を、午後は訪問診療を行い、住み慣れた場所で最後まで過ごせる地域を目指して24時間対応の在宅医療を積極的に行おうと考えました。そのために、松山市の本院から複数の医師が曜日毎に交代で現地に滞在して診療を行う「循環型地域医療」を実現しようと考えたのですが、ここにその当番システムを応用したのです。今では毎日、本院とたんぽぽ俵津診療所をWebカメラとICTツールでつないで多職種でミーティングを行い、患者さんの最新情報を共有しています。これらの取組みが実を結び、俵津診療所の経営も黒字化。2016年にはこの取組みが認められ、「第一回日本サービス大賞地方創生大臣賞」を受賞しました。

そして、この受賞がきっかけとなって当時の厚生労働大臣が、ゆうの森の取り組みを知ることとなり、私は厚生労働省のワーキンググループに参加する機会をいただきました。さらに、このたんぽぽ俵津診療所の取り組みが、へき地の医師不足を解消するシステムとして医療制度に取り入れられることになったのです。
学生時代に知った無医地区の人々の願い、駆け出しの医師として経験したへき地医療と在宅医療、そして自身の開業と、それぞれの経験や失敗が螺旋のように進化しながらつながっていったのを感じています。経験したことや失敗に決して無駄なことなどありませんでした。その時に一生懸命関わったことは必ず将来へとつながり、役に立つのです。「経験はつながっていく」この言葉を私の人生の中でも改めて実感し、今も大切な信念にしています。

スティーブ・ジョブズ氏は、さらに次のように語っています。
『将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々は今やっていることが、いずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかないのです』

彼の言う『点』とは今の時点という意味です。先を読むことは神様にしかできませんが、今を信じて行動することはできます。その点は1つ、また1つとつながり、やがて1本の道のようになるのです。今やっていることに今は意味がなくても、それはあなたがこれから歩んでいく人生の中で意味を持つようになります。
今は、世界中の誰もが、大きな不安を抱えながら、未経験の世界を手探りで生きています。これからどうなるのだろうとか、今やっていることが本当に正しいのだろうかと誰もが悩んでいることでしょう。でも、誰にも正解かどうかはわからないのです。

一番大切なことは、今を信じること。目の前にある仕事や出来事。今のあなたには一見無意味に思えるかもしれない物事や失敗すらも、やがて意味を持ちます。今を信じて懸命にことに当たると、やがてすべてはつながり1本の道になるのです。今を信じよう!
そして今、できることを精一杯やりましょう!

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