著者:永井康徳
ゆうの森には、全国からたくさんの見学者が来られます。見学者の方に永井から伝えたい十ヶ条をお話しさせて頂きます。
【PART1 第1ヶ条~第5ヶ条】
第1ヶ条 在宅医療の質=理念×システム×人財
私は、これまで在宅医療の診療所を運営してきて、組織の質を高めるためには、理念とシステムと人財の3つのどれもが必要だと思っています。当院では、職員で理念を共有するためにクレドを作成しています。朝のミーティングで定期的に抄読しており、これに書いてあることは許可を取らなくても実行して良いと話しています。そして、組織に高い理念はもちろん必要ですが、疲弊し過ぎていては、理念の実現も難しいでしょう。そして、その理念を実現する人財をしっかりと育成する必要があります。志の高い職員は、疲弊しないシステムができると自ずと高い理念を持って患者本位の医療を行うようになると思うのです。理念と疲弊しない効率的なシステムそして人財の3つが揃ってはじめて質は高くなると思うのです。それが在宅医療はシステム医療と呼ばれる所以だと思います。
第2ヶ条 多職種での朝ミーティングの大切さ
見学に来たある医療機関の医師が「当院では、以前はたんぽぽクリニックさんのような多職種が全員参加する朝のミーティングを行っていましたが、最近は多職種の参加はやめて、医師だけでミーティングを行うようにしました」と話されました。さらには、医師だけでミーティングを行うことで治療方針が深く話し合える、患者の情報共有がスムーズになった、ミーティングが短時間で済み、医師以外の職種も朝の忙しい時間を有効活用できるようになったなど、やめたことで大きなメリットがあると語ったのでした。
でも私は、そうは思いません。ミーティングがないと個々人が勝手に訪問してサービスを行うようになり、法人として質を担保できませんし、方針の統一や情報の共有ができません。何より人が集まると異なる意見が出てきますが、その方針を統一していないと患者家族も混乱します。異なる意見こそ十分に朝のミーティングで議論することが大切なのです。そして、診療だけでなく、多職種でどう関わるかを意識することもミーティングでとても大切な事だと思います。ミーティングがなければ組織として質を担保することはできないと思うのです。
第3ヶ条 在宅医療は医療を施すだけではダメ!
在宅医療でのチームの目的は、「患者さんが自宅で安心して療養生活を続けること」だと思います。在宅医療は、患者さんの死に向き合い、生き方に寄り添って、どのような選択をしていくのかを家族と一緒に悩み、寄り添っていく医療でもあります。 そして、在宅医療は患者さんの自宅で行われる医療、生活の中で行われる医療ですから、医師であっても患者さんの病気を診ているだけでは、療養生活自体が成り立たなくなります。専門職であっても、患者さんの生活を支えるという役割があることを忘れてはいけないのです。
そして、患者さんが安心して、満足した在宅療養を送ることが在宅医療や在宅ケアを担っている私たちの目的だとすれば、患者さんが満足する在宅療養を送るためには、一つの専門職が専門性を発揮するだけでは不可能で、「患者さんの生きがい」や「家族の理解と介護協力」が何より優先されると思います。 多職種チームのメンバーはまず、このことを理解しなければなりません。やみくもに自分の専門性だけを発揮していると、目的を誤ってしまうことがあるのです。利用者さんやご家族が「自分らしく生きる」ことを支えるためには、自分の専門性だけを高めるのではなく、多職種のチームで連携する在宅ケアが大切になると思います。
第4ヶ条 亡くなる最期まで点滴や人工栄養をしていませんか?
亡くなる前には皆当然食べられなくなります。「食べられなくなったら点滴をする」というのが現代の日本の医療の常識でした。点滴をして元気になるならよいのですが、看取り期の人の身体は、点滴をしても元気にならないのです。それどころか本人は苦しむことになってしまいます。
なぜかというと、看取りを迎える身体は、水分や栄養を体で処理できなくなっているからです。体で処理できなくなると次のような三つの症状が出現します。
①吸引が必要
②浮腫(むくみ)が出る
③胸やおなかに水がたまる
体で処理できなくなった状態の時に無理に点滴をしなければ、この三つの症状は現れにくく、穏やかな最期を迎えられることを私は数多く経験してきました。病院では最期まで点滴をすることが多いのですが、実は緩和ケアや在宅医療の現場では、亡くなる前に点滴をすることが少なくなってきています。点滴をしなければ、吸引も必要なく、場合によっては口から食べられる可能性もあるのです。
人類の歴史上、亡くなる前に点滴をして、絶食で最期を迎えるようになったのは最近の何十年かだけのことです。人も動物も植物も、最期は枯れるようにして、楽に最期を迎えられるようになっているのです。ですから、亡くなる前に点滴はいらないと思います。
第5ヶ条 死に向き合っているか?
今の時代、「がん」という病名の告知が本人にされることは一般的になりました。しかし、病名は告げたけれど、その後本人との対話が十分になされておらず、本人も家族も、そして医師すらも死に向き合えていないと感じることが多くあります。
家族には「年は越せないかも」「お盆まで持つかどうか」などと、亡くなる頃を予測する話をしますが、本人にはその真実を告げられないことがまだまだ多いと思います。「本人に本当のことを知らせるのはかわいそうだ」という家族の思いから、本人の意思は蚊帳の外となって治療やケアの方針が決められていくのです。
残された命の具体的な期間を伝えることが重要なのではありません。自分の命が「限られた命」だと認識することが大切なのです。人間は生まれたらいつか必ず亡くなることをお伝えすると、多くの人は「その通りだ」と納得されます。これからどう生きるかを考える方向性は、死に向き合っているかそうでないかで大きく違ってくると思うのです。死に向き合うことで、その限られた貴重な時間を自分はどう過ごしたいのか、本当の意味で考えることができると思います。
本人が亡くなった後で本当はどうしたかったのだろうと思い悩む家族はことのほか多いと思います。本人が意思表示できるのならば、どのような選択を望むのか、本人と向き合って話をしておきましょう。一つでも本人の願いがかなったならば、のこされる家族はどんなにか気持ちが楽になることでしょう。