著者:永井康徳
皆さんに質問です。もし、ご自身やご家族が人生の最期を迎えるとき、『最期にやりたいこと』を叶えられると思いますか?
実は、在宅医療には病気を診るだけではない、とても大切な役割があります。今回は、ある60歳の男性患者さんの感動的なエピソードを通して、『最期にやりたいことを実現する』ために何が必要なのか、お伝えしたいと思います。
Aさん(60歳、男性)は、末期の悪性腫瘍と診断され、私たちのクリニックで訪問診療を受けていました。
Aさんは元工場長で、朝から晩までフォークリフトを運転して、現場で従業員と一緒に汗を流しながら働く、そんな仕事熱心な方でした。しかし、病気になってから仕事ができなくなり、生きがいを失って落ち込む日々が続いていたのです。
ある日、訪問看護師が何気ない会話の中で、Aさんがこんなことをつぶやいたのを聞いていました。
『また会社に行って、フォークリフトに乗れたらなあ……』
看護師から連絡を受けて、私たちのクリニックでは議論になりました。
『Aさんの希望を叶えてあげたい!』という声がある一方で、 『それって医療機関がやることなの?』という疑問の声もありました。
でも、私たちには開業当初からの理念があるのです。
『楽なように、やりたいように、後悔しないように』
この理念に基づいて、チーム全体でAさんの願いを叶えることを決めました。
リハビリスタッフが『会社に行ってフォークリフトに乗る』という明確な目標を設定して、自宅でのリハビリを重ねました。
そして、ついにその日が来たのです。
スタッフと共に会社を訪れたAさんは、安全管理の下で、もう一度フォークリフトに乗ることができました。
そのときのAさんの笑顔は、本当に輝いていました。明確な目標ができてからリハビリへの意欲も高まり、目標を達成できた喜びは計り知れないものだったのです。
なぜ「やりたいこと」支援が大切なのか
在宅医療では、専門的な医療やケアを提供するだけでなく、患者さんとご家族が『いい時間』を過ごせるようサポートすることがとても大切です。
私たちが『やりたいこと支援』で特に意識しているのは、次の4つのポイントです。
1.『看取りの質を高める』
適切な医療・ケアを提供するだけでは、良い看取りは実現できません。患者さんがその人らしい人生を最期まで過ごせるよう支援することが、看取りの質の向上につながります。
2.『本人の自尊心を高める』
病気が進行すると、できていたことが次第にできなくなり、自尊心を失いやすくなります。でも、自分らしい時間を過ごす機会を持つことで、患者さんの自尊心を高められるのです。
3.『家族の絆を深める』
弱っていく患者さんに心を痛めているご家族が、自分らしい時間を過ごす患者さんの姿を見ることで、家族の絆が深まります。共に過ごした時間は、残されたご家族にとって大切な思い出となります。
4.『療養の時間に彩を与える』
やりたいことを実現する時間は、患者さんの療養生活に彩を与えます。つらい時間が増える中でも、自分らしい時間を楽しく過ごせることは、患者さんとご家族の双方にとって希望となるのです。
実現するために必要なこと
こうした『やりたいこと支援』を実現するために、何が必要なのでしょうか。
まず大切なのは、組織として明確な理念を持つことです。
私たちは『楽なように、やりたいように、後悔しないように』という理念を明文化し、全職員に繰り返し発信しています。
そして、職種を超えたチーム全体で取り組むこと。
医師や看護師だけでなく、事務スタッフも含めた全職員が参加するミーティングで具体的な事例を共有します。患者さんやご家族が喜ぶ姿を全職員が知ることで、直接関わらない職員も取り組みの意義を理解し、協力し合う風土ができるのです。
正直に言うと、診療報酬では算定できない特別な費用が発生することもありますが、この費用は組織として負担しています。
なぜか?
取り組みを通して、患者本位で医療・ケアに向き合う意識が組織全体に根付き、患者さんへの対応の質が向上するからです。これは組織としての必要経費だと考えています。
実は、こうした取り組みには経営上のメリットもあるのです。職員のモチベーションと帰属意識が高まり、長期的には人材定着につながっています。また、『とても良くしてくれた』という口コミで、新規患者さんの紹介も増えているのです。
人生の最期まで、『自分らしく』生きる。
これは誰もが望むことですが、病院では難しいこともたくさんあります。
でも、在宅医療なら可能なのです。
フォークリフトに乗りたい。 もう一度海を見たい。 家族と一緒に食卓を囲みたい。 ペットと過ごしたい。
患者さん一人ひとりの『やりたいこと』は違います。
大切なのは、その願いに真摯に向き合い、チーム全体で実現に向けて挑戦する姿勢です。
在宅医療には、病気を診るだけではない、人生の最期を豊かにする力があります。
もし皆さんやご家族が在宅医療を受ける機会があったら、ぜひ『やりたいこと』を遠慮せずに伝えてみてください。
きっと、医療スタッフは全力でサポートしてくれるはずです。
今回のお話が、皆さんにとって在宅医療を考えるきっかけになれば嬉しいです。