たんぽぽクリニック考

筆者:尾﨑雄 氏

元日本経済新聞編集委員・日経ウーマン編集長で、現在は「老・病・死を考える会プラス」世話人でジャーナリストの尾﨑雄さん。
日本の在宅医療や在宅死などについて、様々な場、時、人に、鋭く切り込み、優しく包み込み、その現状やその人たちの思いを多く記してこられました。
尾﨑雄さんの目線で、在宅医療や私達のことを俯瞰し、仰望いただく「たんぽぽクリニック考」、是非お読みください!

第3回「Doingの医療」から「Beingの医療」へ 僻地医療のニューフロンテアを拓く

僻地への貢献 たんぽぽ方式(最終回)




たんぽぽクリニックは二つの顔を持つ。
一つは都市に住む人々に在宅医療を提供する新しい仕組みを作ったこと。もう一つは交通不便な山間地や海沿いの過疎地に取り残された人々に適切な医療を届けていることだ。いまの医療制度の中でそれを行うことは困難なのだが、たんぽぽクリニックは、それをやってのけた。舞台は愛媛県西予市の海辺にある俵津診療所を中心とした僻地である。永井康徳院長が「俵津プロジェクト」と呼ぶ取り組み。「Doingの医療」と「Beingの医療」を使い分ける発想転換である。

永井医師は述べる。
「Doingの医療」とは、医療者による施す医療で、その最たるものが救急医療である。瀕死状態の患者の救命最優先で、そのために患者の意思や思いよりも治療が優先される。その対極にあるのが、患者に寄り添い、伴走する「Beingの医療」であり、患者の考えや意志が最優先で、それらを実現させるために必要な医療やケアを提供する。ただし、「Doingの医療」と「Beingの医療」に優劣はなく、患者のために使い分ける。

我が国は、国民の3人に1人が高齢者で、その多くは様々な疾病や障害を抱えている。そんな高齢者大国に相応しい医療のありかたが求められている。
"Not doing、but being"という理念は、現代ホスピスの創始者、シシリー・ソンダース女史が唱えた。彼女は看護師、メディカル・ソーシャル・ワーカーを経て緩和ケアという寄り添う医療を確立した医師である。永井医師はこれを日本流に読み解き、僻地医療の立て直しに適用した。

松山市内から俵津診療所まで西へ約100㌔、車で1時間。そこからさらに30分。峠を越えて海沿いの集落へ。永井医師の訪問診療に同行した。ある家では高齢の女性が処方薬をきちんと飲まず、診療所に行こうとしない。家族が途方に暮れる。どこにでもありそうな在宅医療の情景だ。認知症か普通の老人にありがちなわがままか、素人目には分からない。永井医師は患者の様子を見ながら、叱りもせず、穏やかに「気が向いたら、診療所に来てくださいね」と語りかけていた。「寄り添う医療」のひとこまである。

地域医療は危機に瀕している。俵津地区が属する西予市も例外ではない。市立病院は経営に行き詰まり市が民営化を提案したところ、住民が反対している。人口減少と医師不足の悪循環が経営を圧迫して自治体財政を窮地に追い詰めるという悪循環。医療の効率化に反対する住民。日本中で起きているおなじみの風景である。

年間3000万円の赤字を垂れ流していた旧公立俵津診療所もつぶれる運命だった。永井医師は29歳のとき、そこに赴任し、「地元の人々に育ててもらった」ことの恩返しの格好で診療所を引き取った。10年前のことである。
赤字を一気に解消し、市のお荷物を肩代わり、過疎地の住民のために役立っている。たんぽぽクリニックのイメージを上げた。「三方良し」である。

その秘密は、10人の医師を擁するたんぽぽクリニック本院から医師が交代で俵津に勤務し、24時間診療を行なうこと。院長自身もローテーションの一員。午前中は外来診療を行い、午後は比較的診療報酬が高い在宅医療に集中する。本院とオンライン化し、本院が毎朝行う全員ミーティングに俵津のスタッフも参加して情報共有をする。症例検討などを複数の医師らと行うことができるので、医療の質をあげ、平準化できる。介護など周辺サービス事業者との連携もスムーズだ。
他地域からの患者が増え、デイサービス、ショートステイや入所施設ができるようになり、地域介護力の厚みも増した。愛媛県出身の塩崎恭久元厚生労働大臣は「僻地であっても医療に取り残されることはなく、まさにこれこそ新しい医療の形」と語ったそうだ。

では、なぜ他の僻地では「新しい医療の形」が難しいのか。
ひとつには、「赤ひげ」、「スーパードクター」と称えられる献身的かつ犠牲的な医師に「僻地」を丸投げしてきたからだ。だが、個人的な使命感に頼る僻地医療には限界がある。後継者難などで先細りは目に見えており、それは「スーパードクター」自身も熟知している。地域に合った「新しい医療の形」を作らない限り僻地医療は崩壊する。土壇場から再出発するためには地域と国レベル両方で強力なリーダーシップが必要だ。

「やって見せ、言って聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば人は動かじ」。リーダーシップ論の教科書に引用される山本五十六海軍大将の名言である。永井医師のような先駆者が全国で改革のリーダーシップを揮えば、日本の医療にも明日があるかもしれない。